九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

二十歳の頃、振袖を着なかった私

着物のことを書いたのが2年前、着付けを習い始めてすぐにコロナ禍となり、中断したりしながら、昨年からなんとか着物で外出できるまでに進み、やっと着物二年生という感じ。


覚えてみると、何が何やら魑魅魍魎な世界だった帯結びも、これがこうなってこうなるのかと、理屈がわかると、そんなに怖いものではなかった。
それでも、素材の違い、長さの違い、その日の偶然性などに左右され、なかなか安定しない。それに15分でささっと着る、みたいなところには全然到達していない。
まあ仕方ない、日々、通勤している身としては、週末くらいしか着られないし、1か月以上あくと、ちょっとした手順を忘れてしまうし。

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セミアンティークの道行。まだ一度しか着ていない。
古いものは裄が足りないので難しいのだが、華やかな裏地に惹かれてつい購入。

 

着物を着るようになり、あらためて日本の文化や風俗に目が開かれたのが、何よりの収穫。
時代もののドラマや大河を見ていても、衣裳に目を凝らすし、今まで漠然と感じていた点と点が線につながっていくような感じがするのだ。
物干し竿、あれは着物だからこそのものだと思う(海外ではだいたい紐に吊るす)。
箪笥の引き出しの長さ、あれも使いづらいと思っていたが、着物を半分に折り畳んだ時にちょうどよい幅だ。
襖などの引き戸も着物の袖が引っかからないし。
着物のためにそうなったということではなく、家の造り、文化、風俗が一体となって自然とそういうふうにできあがってきたのだ。
子どもの頃(はるか彼方昭和の頃)、呉服屋さんだったか、クリーニング屋さんだったか「洗い張りします」という張り紙がよく貼ってあって、何を洗って張るのだろう?と、思っていたが、着物のことだったんだなあと。
あと「桐箪笥、直します」の張り紙や広告もよく見た(最近は見かけなくなった)。
桐箪笥なんて、そんなに必要なの?と思っていたが、湿気がこもりにくい桐の箪笥は着物にうってつけなので、最近になってやっとその謎が解けた。
桐箪笥、今、私はほしくてたまらない(置く場所がないので、可動式の小さい収納箪笥だけ)。
そんふうに昔の日本人は、箪笥も着物も直し直し、大事に使っていたのだ。

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昨年秋、東京都庭園美術館に行った時の着物。
キューガーデンの植物画展だったので、テーマは植物。
着物は笹の葉柄の
小紋、花の織模様のある帯に帯締めは草色。
鏡に映った姿を撮影したので、反転してます。
スマホでこうして撮ると、こんなパターンばかりなので、一眼レフに三脚とか要るかな......いや、そこまでしなくても、などなど思案中。

戦前戦後を舞台にした朝ドラなどで、ずっと着物を着ていた女性が初めて洋服を身にまとうシーンがあるが(特に『カーネーション』が着物と洋服の関係性が印象的だった)、その時の、違う世界に足を踏み入れた感覚、目が開かれる思い、そのわくわくとどきどき感は、私が着物をまとった時の想いに近いのではないかと思う。
わー、私、洋服着ちゃってる。それで外を歩いている!
それが1世紀ほど経って、
わー、私、着物着ちゃってる、それで外を歩いている!
になり、完全に逆になったわけで、そう思うと感慨深い。
同時に、着物がわざわざ手間暇かけて着るものになってしまい、身近なところから消えてしまい、職人さんもどんどん減っていくのは寂しい限りだが、その辺の話題は難しいので、今は触れないでおくことにする。というか、素人の私には一言では語れない。
幸い今は、リユースもので手軽な価格で入手できるし、成人式に振袖を着なかった私が(着なかった理由はこちらの記事に書きました)

       ↓       

kate-yuki.hatenablog.com

この年になって見つけた愉しみなので、いろいろ深めていきたい。あまり沼に入り込みすぎない程度に......そんなことを成人式の今日、思った。