九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

「鏡の国」のようだった、2020年の春

 前回の記事から、凄く間が空いてしまい、Hatenaから「そろそろ更新しませんか」のメッセージすら届かなくなってしまった。

 今時、ブログなんか気負わず、その時々で赴くままに書けばいいのに、何か少しは意味のあることを、なんて気負っているうちに月日だけがどんどん流れていく。

 コロナ以降のことなど、緊急事態宣言が出されてからもほぼ毎日出勤していた私は、小まめに書き留めておけばいい記録になったかもと思うが、実際はそんな余裕もなかった。

 特に3月からしばらく、マスクもないし、エタノールも売り切れ、ウエットティッシュですら店頭から姿を消し、モノを探す日々で消耗していた。

 せっかく今年から始めた着物の着付けのお稽古も中断するはめになり、すっかり忘れるし、楽しみにしていた美術展が中止になったりと、いろんなことが「おあづけ」になった。ほとんどの人がそうだったと思うけど(また、マスク嫌いで、インフルエンザ流行期もほとんどマスクをしない私が、今はマスクをしていない人を見ると、えっ?!と思ったりするようになった)。

 というわけで、今現在もそんなに余裕はないが、九月生まれで「九月ウサギ」と名乗りつつ、9月に一度も更新しないとは悲しすぎるので、今日は有休も取ったし、自分の誕生日ということもあり、久々に書いてみることにした。

 

 緊急事態宣言から解除されるまでの街の景色はSFのようであったことは確かで、通勤していた新宿の街の風景をiPhoneで何枚か撮っていた。

 新宿という、買い物や食事など消費をすることが求められ、それらを提供することが大きな目的の街で、人通りが途絶え、シャッターが閉ざされた。出るな、食べるな、消費するなと、今までとすべてがさかさまになった。

 異世界に迷い込む『鏡の国のアリス』ではないが、今年の春はまさに「鏡の国」のようだった。

 

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★4月9日(木)夜7時過ぎ、武蔵野館が入っているビルの1階。シャッターが降りているのはZARA。通路にある鏡に無人の空間が映し出されていた。通勤時、ここを毎日通り、不思議な思いに襲われていた。

 

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★4月10日(金)武蔵野館の映画も上映休止。上映予定のないポスターが貼られたまま。現代版「レ・ミゼラブル」観たかったな。

 

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★4月10日(金)新宿東口、午前9時過ぎ、車もなく、人通りのほとんどないなか、開店前のマツモトキヨシに並ぶ人々。

 

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東日本大震災時、確か発災当日の夕方は閉店したが、そのあとは時短だけで営業を続けていた伊勢丹でさえも、4月8日から緊急事態宣言が解除される5月下旬まで閉まっていた。

 

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★4月27日(月)午前9時過ぎ、新宿伊勢丹の搬入業者の車のスペース。開店前、いつもは活気のあるこの通路も、ずっとこんな感じだった。

 同時に、この期間はバスも鉄道も街も空いていて、ストレスフリーで、逆に感染の心配はないよなあと思っていた。と思いつつも、多くの人が家にこもっているのに出勤せざるを得ない(医療従事者でもなく、単に職場の体制の古さと、あと業種もあるが)自分が外れクジを引いた気にもなるし、東京にこれだけ人がいないのはすごいな、ちょっと面白いなと感じると同時に、閉ざされたシャッターを見つめつつ、ここで働いていた人たちの生活は成り立っているのだろうかと何ともいたたまれない思いもあり、引き裂かれるような、不思議な心持ちだった。

 

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★4月30日(木)午前8時過ぎの三鷹発、総武線。快適な通勤! 行きも帰りも楽々座れ、これだけはこの状態がずっと続けばいいのになあと心底思った。

 

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★4月30日(木)午後7時過ぎ、新宿東口、ビックロやビアホールのある辺り。「夜の街」も連日こんな感じだった。何か、まとまりのない変な夢のなかを歩いているような…。

 

 緊急事態宣言が解除され、世の中が徐々に通常モードになってから、私の職場ではようやくリモートワーク用の準備が進められ、できる人からということになった。

 しかし、自宅用PCにうっかりMacを選んでしまっていた私は、あてがわれたシステムでは互換性がなく、使いづらいすんごいちっさなノートPCを貸し出されたので、仕事なんかできない!と腹が立ち、拡張用モニター、キーボード、マウス一式を自費で購入するはめに。

 そんなすったもんだがあったが、もともとアナログな職場・業種でもあり、結局月に2日くらいしか在宅勤務できず、何だかもうよくわからない。

 とはいえ、収入が減ることもなく、むしろ忙しくなったりしているので、ありがたい気もしたり。

 今の仕事に就く前、世の中は通常モードではあったが、派遣→失業→フリーランス→派遣→失業、みたいな時期が私には結構長くあって、あれは「ひとりコロナ禍」みたいなものだったなとか思い出したり。だから、今つらい状態の人の気持ちはちょっとはわかるつもりでいる。

 この間、個人的にはうんざりというか、反対だったオリンピックが中止になるという、「願い」が思いもかけない形で実現してしまい、そして政権も変わった。

 アベノマスクは、開封もしないまま、玄関の角に放置してある。寄付しようかとも思ったが、こんなもの寄付されても迷惑だろうと思うのでやめた。捨てるに捨てられないというか、放置していることすら忘れていた。

 

 NHKパンデミック関連のドキュメンタリーなども随分見た。100年前に大流行したスペイン風邪のことも、初めて(!)知った。ペスト、コレラ、インフルエンザなどなど、感染症はしょっちゅう流行っていたのですねえ。

 人類は感染症感染症のわずかな間に繁栄したり、浮かれたり、そして忘れた頃にまた災厄が訪れ……というのを繰り返しているだけのような気もするのであった。

 

 いろいろ思うことはあるがーー経済の行く末とか、不安な気持ちの人が多いとかーーとりあえず、今回は私が見た緊急事態宣言下の新宿の風景日記ということで。

 

*追記*

 とりとめがなくなるので書かなかったが、三浦春馬さんが亡くなったのが大変に悲しい。その悲しみの癒えないなか、また芸能界で訃報が……。たくさんの要因があるのだろうと思うが、このコロナ禍の不安な状況が、つらい人の背中をさらに一押しして、悪い選択をさせているような気はする。

 東日本大震災の時は、不安ななか、とりあえあず誰かと会って、どこかを応援するため食べに行くとか、「寄り添い合う」みたいなことがまだできたが、このウイルス感染のなかではそういうことすべてが禁止されるのだ。

 人間にとってウイルスというのは本当に厄介なものである。どうすべきか、答えはそう簡単には出ない。