九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

「Workin' Hard」な日々へ贈られた、「花」💐

暑い夏に更新したきり、いつの間にか季節は巡り、今年の終わりも見えつつあります。

というわけで、またまた藤井風です。
バスケW杯の公式テーマソングとして発表された、藤井風の「Workin' Hard」。
なんだかだいぶ前のことのような気もするが、この曲には衝撃を受け、「新しい扉を叩き割った」のだなあと感動していた。
MVがまた素晴らしくて、初めて見た時は泣きそうになった。
今の藤井風だったらいくらでもスタイリッシュに作れるのに、登場するのはヒーロー的なアストリートではなく、スクラップ工場やスーパー、ごみ収集車に乗って働く労働者たち。自らもそんな制服を着た労働者に扮する。
コロナ禍でよく言われたエッセンシャルワーカーを意識しているのかなとも感じた。
バスケ的な映像はひとつも出てこない。
「grace」の曲とMVの完成度がとてつもなく高く、あまりに崇高で、さらにNHKのドキュメンタリーを見た時は、このままインド辺りに修行の旅に出てしまうのでは?という思いにかられたので、WorkinHard」を聴いた時は、風が地上に戻って来てくれたと感じ、嬉しかった(もちろん、どこへでも自由に行ってくれて構わないのだが)。
茶畑で花柄の茶摘み服(?)を着て踊るシーンがいいよねえ。
私も風の周りで一緒に踊る、茶摘み姐さんたちのひとりになりたーい!
普通の人への応援歌になっていて、それでいて曲自体は骨太でとてつもなくカッコいい。

と、WorkinHard」曲とMVをリピートしていると、この秋、ドラマ「いちばんすきな花」のテーマ曲として発表されたのが「花」
ドラマの予告で微かに流れているのを聞いたり、またドラマ中で使用されている曲のイメージからは、ドラマのイメージとも相俟って儚げな印象だった。
でも曲だけを聴くと、歌詞は相変わらず「藤井風」だなあと思い、素晴らしいと思った。
なんせ歌い出しの歌詞が 枯れていく 今この瞬間もーーーー
ですからねえ(これこそが藤井風!)。


そして、24日の夜に公開されたMVを見て衝撃を受けた。

www.youtube.com


今時の若い人の言葉を借りて一言で言えば、ヤバイ、になるのでしょうか。
少し前に、MV撮影地を窺わせる砂漠っぽい土地でお馴染みのあの黒いタオルを頭に被り、後ろにロバのいる藤井風の写真を見ていたので、また動物が出てくるのかな、きっと意表を突いたいいものができあがるのだろうな、くらいに期待していた。
砂漠とロバと金髪ボーイと......絵本のような世界をちらっと想像したり。
ところが、想像の遥か彼方遠くというか、こちらの凡庸な想像を大きく大きく超えていたのだ。
冒頭、いきなり黒服姿の風(=黒風)が荒野の中で棺を引きずっているシーンから始まるのである。
その棺の中には、花に埋もれた本人自身(=花風)。
「WorkinHard」 で、つなぎ姿の風が登場する時も頭を殴られたような気がしたが、今回はそれ以上だ。
でもって、髭あり、カラフル短髪、ストリート系ファッションのやんちゃ系でここのところきていた藤井風が、いきなり素肌に黒ジャケット、ピアス(かイヤリング?)、ネックレス、髭なしストレートヘアという姿で、喪服という想定でありながら、けしからん!というぐらい妖艶なのだ。
これだけで、やられてしまうわけですが、まだまだ続く。
黒い車に乗り込み、片手で颯爽と運転する黒風。
えっ、海外かどこかで免許取った? わからないように牽引されてる? というのは
、まあ、脇に置いておき。
やがて、黒風が遺影のような額縁の中に閉じ込められ、棺の中から花風が蘇るのである。
花風は軽やかに踊り、お線香をまるでタバコのようにくわえ、祈り、青空を仰ぎ、やがて夜空の月の下、火を囲んでダンサーとともに踊り、最後は土塊に、砂となって消え去る......。
これが4分半弱のなかで展開されるのだが、まるで一本の短編映画のようで、初めて見た時は呆然としていた。
民法ドラマの「花」のテーマソングが、MESS監督と藤井風にかかると、こう展開するのかと。
ドラマ自体は、とても傷つきやすい若者たちが主人公で、周囲の目ばかり気にして疲弊しているので、もっと好きに生きてくれ〜と叫びたくなり、毎回見ているわりには、私は今ひとつ乗り切れないところがあった(これからどういう展開になるかわからないし、別の角度で見るとまた違うのかも)。
だから、このMVを見て、やっと自分のなかで「花」で歌われていたことが定着した気がする。
MVは生々しいというか、それでいて現実感があまりなく、生と死のコントラストがくっきりな印象で、不思議な映像だ。
花柄の布を繋ぎ合わせたパッチワークのカラフルな衣装は、メキシコの「死者の日」の祭りを連想させる。
死者を送る人(黒風)が、送られる人になり、送られていた人(花風)が送る側になる。
古い自分を捨てて、新たに生まれ変わる、あるいは自分が死んで、次の世代が生まれ......という、いのちの循環を象徴しているのかな、などなどいろいろに解釈できるなあと思いながら、繰り返し見ていた。
英語字幕を見て、「枯れていく」"It's  dying" になっていたのも目からウロコ。
X(旧Twitter)では、放心状態になりながら絶賛、という感想が多かったけれど、ちょっと怖くて悲しいとか、近親者の死を体験したばかりの方は見ることができなかった、というような感想も目にした。
受けとめ方は人それぞれで興味深いなと思った。
そういう、ちょっと不穏な印象を受けることも含め、私はすごくすごく好きな映像だ。
使い古された言葉かもしれないが、癒された。
連日、ガザの酷い映像を目にしていて、何もできない
自分に打ちのめされていたのだが、この映像で自分のなかの流れが少し変わったような気さえする。
言い方が難しいのだが、それでパレスチナのことを忘れてしまうのではなく、
現地の人々は、未だに惨いなかにいることに想いを馳せつつも......自分はちゃんと生きるというか(うーん、やはりうまく表現できないが)。


さて、古い自分を捨てて、新たに生まれる変わると書いたけれど、もっと突き詰めると、こういうふうにも解釈できるのか、と思った一文を紹介します。

カラフル風=魂 または ハイヤーセルフ 真我または 永遠に枯れない花

黒風=肉体 または 物質的なものやいっとき限りの儚いもの全般 エゴ しわしわの花束

note.com

erinadiさんのnoteから引用させていただきました。
それから、
「香りは魂のごはんです」という箇所もあって(お線香が出てくるところ)、ああ、なるほど、仏壇にお線香をあげるという意味はそういうことかもねえと。

仏教思想的な背景が強い感じだけれど、私が思い出したのは、ミヒャエル・エンデの  『モモ』というファンタジー作品。
時間泥棒に時間を盗まれた人々を救うべく、少女モモがマイスター・ホラとともに、ひとりひとりの人間が持つ時間の花を目にするシーンがとても美しいのだ。
暗い水面に、時計の振り子が近づくと花が咲き、振り子が遠ざかると花が枯れていく。
そこには微かに響く音楽も聴こえてくる......。
その美しさに、モモは感動しつつ、あっという間に枯れていく儚さに胸が痛くなる。
エンデはその時間の花に人の一生を託し、その花が、時間泥棒である灰色の男たち(=物質主義の象徴?)に奪われていく怖さ、虚しさをファンタジー作品として表現したのである。
まさに藤井風が書いた「花」の歌詞とつながっているような気がする。

咲かせにいくよ 内なる花を 

探しにいくよ 内なる花を

my  flower's  here        my  flower's  here......

 

ともう、あれやこれやいろんな想いが湧いてきて、キリがない。

ビジュアル的な魅力だけでも、もうほんとにやられっぱなしで、ワルな感じの、危険な香りのする黒風も実に魅力的なのである。
額縁に閉じ込められつつ、クッ
と微かに笑うところとか。息が止まりそうです。
一方、花風は、お線香をくわえながら、子どものように軽やかに飛び回り踊るところがえらく可愛い。可愛すぎる!
さらに可憐でもあり、ジェンダーレスな魅力に満ちている。
そうそう、額縁の中でアップになる黒風、あの辺は、山田監督による「死ぬのがいいわ」のイメージ映像のオマージュかな?とか。
オマージュといえば、ほかにもそう思わせる箇所がたくさんあり、あのカラフルな衣裳で踊り回るのは「燃えよ」だし、夜の焚き火は「青春病」だし。
音楽的な分析は誰か、専門家に頼む!(すごいのはわかるけど、言語化できない) 
菊地成孔氏は「Workin' Hard」の転調がヤバイと言っていたっけ。


「grace」
に続いて、「Workin' Hard」、その次が「花」で、こんな完成度の高いものを次々と生み出し、いったいどこまでいくのだろう?と、ちょっとこわくなるような気持ちで、それでいて、わくわくしている。
🪷みんなの「WorkinHard」な日々に贈られた花」、そのはきれいなだけではない、死を思い起こさせる何か本質的なものを宿した厳しさ、悲しさ、そして儚さもある。
だからこそ尊い

この世に生まれてきた時間には随分と隔たりがあるけれど、藤井風の音楽を享受できること、同時代に生きることができた巡り合わせを本当に幸せに思う。
これはもう奇跡です。