九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ

夏休みの写真ちょこっと日記

夏休みも終わり。
というわけで、珍しく10連休だったので、振り返ってみることにした。
絵日記ならぬ、写真ちょこっと日記(単なるスマホの写真だけれど)。

8月10日(木)夏休み1日目
今までの疲れを癒すべく、だらだら寝ていたかったが、午前中にケーブルTVの人が室内に来て作業してもらう用事があり、ベッドから体を引き剥がすようにして起床し、待機。
幸い10時過ぎに終了、せっかくなので、暑さにひるみながらもそのまま吉祥寺へ。
ダンディゾンというオシャレで美味しいパン屋さんでパンを調達......したけれども、私が好きなドライフルーツやナッツ入りのハード系のパン、大きさが一回り、二回りくらい小さくなって、価格が1〜2割以上上がっている感じで、購買意欲も削がれ、かなり控えめなお買い物。
もうどこもかしこも値上げラッシュですなあ。
それから近くのイタリアンでひとりランチ。
ホールも調理場も、スタッフ全員ノーマスク。
あまり混んでいなかったし、面と向かって誰かと話し込むわけでもないので、気にせず食べたが、不特定多数の人がマスクを外す飲食の場で、スタッフの人たち、強気だなあと思った。
と、初日はこんな感じで終了。

11日(金)山の日
東京ステーションギャラリーにて開催中の甲斐荘楠音の展覧会へ。

ここぞとばかりに、この夏に購入した竺仙の浴衣を(もちろん新古品)、半衿と足袋で夏着物風にして頑張って着て出かけた。
会場には、着物姿の方はもちろん、浴衣の可愛い若い女の子たちもいて、こういう人たちを密かに観察するのが愉しみ。
甲斐荘楠音は、この「横櫛」が有名。
長襦袢姿の女性のこの絵を表紙に使ったのが岩井志麻子の『ぼっけえきょうてい』で、そのイメージが強かったので、岡山弁もおどろおどろしいイメージだったが、岡山弁は藤井風のおかげですっかり「可愛らしい言葉」に変わった。
甲斐荘楠音も本人のことを知ると、大変に興味深く一気に好きになった。
いわゆる美人画日本画とは一線を画す、異才。
浅い知識で絵を見ていた時は、女性を必要以上に妖艶に少し怖いものとして描いているのではと思っていたが、当時から自ら女装して写真撮影し、絵のモデルになったりしていたことを知ると、見方が変わる。

右が甲斐荘楠音(会場外に飾ってあった)。子ども時代から歌舞伎が大好きで、男性が美しく女形を演じているのを夢中になって見ていたそうだ。

また、晩年に手がけた、東映の時代劇映画の衣裳(着物)もずらりと展示してあって見応えがあった。
その『旗本退屈男』の動画も会場で少し見た。
昔の時代劇映画を見るのは久々で、日本刀を一振りするだけで人が血の一滴も流さず、ばたばた死んでいき、さらに斬られた方は倒れず血の一滴も流さす自分からささっと消えていくという、今の大河に慣れた目で見ると、ちょっと笑いたくなるような演出だった。
でもこれが当たり前だったのだなあと思い出した(まあ、歌舞伎もそうだし)。
未完のままの「畜生塚」も圧巻だった。
中心にピエタをオマージュしたと思われる人物が描かれていて、西洋絵画もかなり研究していた人だとわかり、興味深かった。
生没年は1894〜1978年。
70年代後半まで生きていたことににも驚いた。

この日の着物。
竺仙の奥州小紋、菖蒲柄。
浴衣になぜ5月の菖蒲?と思ったが、邪気を払う菖蒲の意味が込められているそうで、あと「勝負に勝つ」の「しょうぶ」にかけているとか。
でもまあ、私のモットーは
勝ちや負けとか一切ない ない ない」(by 藤井風”まつり”)
なので
関係ないのですが。

12日(土)
友人と、中央線の武蔵小金井で食事。
つれあいも合流するはずだったが、関西方面の台風の影響で今回は東京行きは断念。
というわけで、友人2人と3人でこじんまりとイタリアンで食事。
大勢でわいわいするのが年とともに苦手になっているので、このくらいの集まりが一番いい。
イタリアンといっても素材にこだわった、さっぱりした味わいで美味しかった。

カンパネッラ→https://www.facebook.com/Italiankitchencampanella

この日は、カジュアルなイタリアンなので、昨日の竺仙の浴衣を、ほんとの浴衣として着てみた。足元も素足に下駄。
心配だった木の下駄もすっかり慣れたなあ。
脚が鍛えられる感じで結構好きかも。
お祭りにも花火大会にも行かないので、こういう機会でもないとなかなか着る機会がない、私の浴衣......。

13日(日)〜14(月
外出が続いたので、自宅でおとなしく過ごす。
雑然としていた机周りを整理する。
こんなものいらないでしょう、というものがザクザク出てくる。
まったく片付けは終わらない。

15日(火)
13〜14日と同じようにして過ごした気がするが、あまり記憶がない(苦笑)。
敗戦記念日」と思いつつ、メールの整理をしてたかな。
使用していないGmailの旧アカウントを整理。
残したいメールだけ残して、一気に削除と思うも、2010年以前の震災前の比較的のんびりした頃のメールや、菅首相誕生(!)の話題などが出ているメールなどをつい読んでしまう。
今はもう故人となってしまった同世代の友人のメールも出てきて、あまりに当たり前の日常のことが綴られていて、感慨にふけってしまう。
もういない人とは思えなかった......。
捨てるに忍びなく、友人からのメールはほとんど全部残すことに。
それが500通くらいあるので、今のアカウントにせっせと転送し、フォルダに振り分ける。

もちろん、この作業もまだまだ途中。
Gmail、容量が大きいので溜まっても全然平気なので、これから気をつけないと収集つかないなと反省。
皆、メールはどうしているんでしょうか?

16日(水)
お出かけの日。
池袋西武の骨董市を覗いてみた。

http://hhttps://www.sogo-seibu.jp/ikebukuro/topics/page/kottou202308.html

リユース着物屋さんも出ていて、小千谷縮とかいいものがたくさんあったが、きりがないのでぐっと我慢。見るだけにしておく。
代わりにといっては何だが、ヨーロッパの陶磁器のアンティーク屋さんでロイヤルコペンハーゲンのちょっとしたものを買ってしまう。
ロイヤルコペンハーゲンのモチーフはブルーのお花やデンマークの風景が多いが、漁師が網を引いているという、労働のシーンの絵柄は初めて見るもので、レアだなあと思って。
このブルーグレイの色味が好きなんですよねえ。
飾り皿ですか?と聞いたら、たぶんペントレーだとのこと。
確かにかにちょうどペンを置く長さ。
でも、陶器のトレーにごろごろとペンは置きたくないので、飾っている。
1940年代頃のものとお店の人は言っていたが、あとでネットで調べたら、1968年頃らしい(後ろの暗号のような刻印でわかる)。
と、またまた実用的ではない、なんとなく好きな物が増えてしまった!


その後、有楽町に出て映画「ジェーンとシャルロット」を観る。

www.reallylikefilms.com


シャルロット・ゲンスブール初監督、母親ジェーン・バーキンを見つめたドキュメンタリー映画
憧れの人だったジェーン・バーキンがこの夏、亡くなった。
かつては時代のアイコン、年を重ねても自然体で颯爽としたイメージのジェーンだが、少女時代から不眠症睡眠薬が手放せなかったことをこの映画で初めて知った。
老いることや、娘たちへの、特に自ら死を選んだ長女ケイトに対する自責の念など、不安や後悔を抱えたひとりの女性の姿が包み隠さず映されていた。
ケイトが亡くなってから、心身ともにすっかり変わってしまったというジェーン自身の言葉が痛々しかった。
シャルロットとも姉妹のような仲良しと思っていたのに、互いに距離があったことも。
有名人のこと、表に出てくるイメージだけで知った気になる怖さも感じたりした。
また、セルジュ・ゲンズブールのパリの住まいがそのまま30年前のまま残されているのも驚き。
缶詰とか香水とか、そのまんま残っていて、日本人的(?)な心情からすると、そういうのは処分してさっぱりした中に、大事な要素だけきれいに残して記念館にとかにすればと思うのだけれど、ああいう雑然とした残し方もそれはそれで面白い(誰が管理し続けるのかとか気になるけど)。
それにしても、ジェーンの最後の映画が、娘シャルロットの初監督映画というのは、幸福なことだったのではないか。
シャルロットの映像と音楽のセンスが素晴らしかった。
「人はなぜ母親から離れるの? それが人生の目的みたいにーー」というシャルロットの言葉が胸に残る。


16日(木)
5月の連休中に持ち越した、部屋中のカーテンを洗濯する!を決行。
大きな窓4枚分と、同じ枚数のレースのカーテン。
レールから外してフックも洗って、洗濯機6回くらい回して洗って、干して、またフックを付けて、レールに付けてと、なかなかの重労働。
それから生協の配達もお盆休みなので、食料の買い出しへ。

17日(金)
週末の掃除を前倒しして、仕事が始まったらできるだけ行かないで済むようにと、今のうちにと病院へ2つ行く。

そして、今日19日(土)
ひたすら洗濯し、昨日と似たようなことを繰り返し、土曜の夜も更けてゆく。
夏休みって、優雅に避暑に出かけなくても、もっとぼーっとのんびりしたーい、なぜ、せっせと物の整理とかカーテン洗濯してるのかなと思うけど、日頃、仕事だけに追われ体力、気力的に何もできないからだよなあ。
でも通勤しないで済んだこの10日間は心身ともに楽だし、確かに少しは疲れた癒えたかな。
ああ、でも来週から容赦なくまた仕事は始まり、そして暑さも続くらしい。

考えてみれば、東京で過ごす最後の夏なのだが、そんな感慨も吹き飛ぶ暑さ。
温暖化なんて生やさしいものではない、気候変動が怖い。

(夏休み中、藤井風のBlu-rayの2時間ドキュメンタリーを見直したりして、あらためて感動していたが、長くなってしまったので、今回はここまで)