九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

藤井風「花」MV、さらなる考察

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前回に続いて、またしつこく藤井風の「花」 MVについてです。

  ↓

kate-yuki.hatenablog.com

11月24日金曜の夜に公開された、「花」のMV、この1週間で何回見たことか。
平日の忙しい日も、寝る前に1回は見ていた。
心身が浄化されるような気がするので。
いや、気がする、ではなく、実際に浄化されているのだと思う。
能を聴くと、長生きするという話をこの前聞いた。
能楽師による発声は聴く人の琴線に触れ、よい影響を与えるのだという。
深い見識はないが、私も何度か能の生の舞台に触れたことがあるので、それは実感する。
能楽師と声の質は全然違うが、藤井風の声と歌にもそんな気の流れのよさがあるんじゃないかと思う。


さて......「花」のMV、見れば見るほどいろんな想いが湧いてくる。
「黒風」に対して、「花風」がハイヤーセルフという捉え方もできるが、さらにまた、ちょっと違う角度で考えてみた。
棺を引く「黒風」は、現生に生きる人間を表しているのではないか。
人はそのいのちの役目を終えた時、重い肉体から解放され、魂は自由に飛び回り踊る。
つまり、死は決して悲しいことではない、ということの表現なのではないかと。
「花風」のビジュアルのイメージとなっていると思われるメキシコの「死者の日」のお祭り、また、にぎやかなジャズで送るニューオリンズの「ジャズ葬」など、弔いの儀式には明るく、はなやいだものがある。
特に、ニューオリンズの「ジャズ葬」なるものは、虐げられてきた黒人にとって、死は過酷な現生からの解放、という意味合いが込められているそうだ。
日本のお葬式とはまったく違う文化。
日本では、死が不吉で忌まわしいものとして考えられすぎているのかもしれない。

棺からよみがえった「花風」があまりにも軽やかで美しくて可愛くて、存在自体の純度というか透明感すごくて、何度見ても胸が震えるので、これはいったい何なのだろう?と、つい考えてしまうのだ。
花の精霊か何かのように見える。
このMVの中の藤井風は、今まで以上に本来の藤井風がくっきりと表現されているように感じた。
そして、死後の世界からの精霊ーーつまり人間ではないーーのように見えて、美しいと同時に、悲しさみたいなものも感じてしまった。

......と、考察というほどのことではない、とりとめのない文章になってしまったけれど。

『インドの信仰と仮装』(青幻舎)という本ある。
世界中の祝祭や信仰の場での仮装を撮っているシャルル・フレジエという、ユニークな活動をしているアーティストの写真集(画像は青幻舎のHPより)。

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膨大な数のインドの仮装写真が収録されていて、とっても面白いのだが、中に鮮やかな衣装を身に纏い、顔も布で覆っている仮装があった。
それは邪気を払う衣裳(あるいは神様?)だか、踊りだかで(今、職場に本があるので詳細がわかりませんが)、「花」のMVで焚き火の周りで踊るダンサーたちがまさにそれだ!と(私だけの解釈だけど)。
顔が布で覆われていて、初めはちょっとこわい感じがしていたのだが、邪気を払う踊りなのかと思うと、俄然、見方が変わる。
毎晩見ていたのも、無意識に邪気払いをしていたのかも!
というわけで、自分が知らないことなども、もっともっとたくさん込められている映像なのかもしれない。

こんなに深い映像と音楽を創ってしまって、次もまた前回を超えようとすると大変なことになるのではないか? なんて思うのは、余計なお世話ですね。
こちらの想像をするりと超えて、きっとまた新しいものが生まれるのでしょう。
それを楽しみにしつつ、生きていきます。



*余談*
MVのなかでの藤井風の運転姿が話題になっていたけれど、今日、インスタに免許の写真が!
このMVのために取得したんだね〜。
Workin' Hardな日々のなか、すごいなあ。
どんどん遠い世界に羽ばたいていってしまうような気もしつつ😅、おめでとう。
でも「きらり」のMVのためだけに取得したバイク免許と同様、
「ふだんは乗り回したりしないので、ご安心を」
という、マネージャーずっずさんの声が聞こえてきそう。
ふだんの仕事の時はずっずさん運転に決まってるよね(車とかほしがってそうな感じが全然しないので、勝手にそう思ってる)。

「Workin' Hard」な日々へ贈られた、「花」💐

暑い夏に更新したきり、いつの間にか季節は巡り、今年の終わりも見えつつあります。

というわけで、またまた藤井風です。
バスケW杯の公式テーマソングとして発表された、藤井風の「Workin' Hard」。
なんだかだいぶ前のことのような気もするが、この曲には衝撃を受け、「新しい扉を叩き割った」のだなあと感動していた。
MVがまた素晴らしくて、初めて見た時は泣きそうになった。
今の藤井風だったらいくらでもスタイリッシュに作れるのに、登場するのはヒーロー的なアストリートではなく、スクラップ工場やスーパー、ごみ収集車に乗って働く労働者たち。自らもそんな制服を着た労働者に扮する。
コロナ禍でよく言われたエッセンシャルワーカーを意識しているのかなとも感じた。
バスケ的な映像はひとつも出てこない。
「grace」の曲とMVの完成度がとてつもなく高く、あまりに崇高で、さらにNHKのドキュメンタリーを見た時は、このままインド辺りに修行の旅に出てしまうのでは?という思いにかられたので、WorkinHard」を聴いた時は、風が地上に戻って来てくれたと感じ、嬉しかった(もちろん、どこへでも自由に行ってくれて構わないのだが)。
茶畑で花柄の茶摘み服(?)を着て踊るシーンがいいよねえ。
私も風の周りで一緒に踊る、茶摘み姐さんたちのひとりになりたーい!
普通の人への応援歌になっていて、それでいて曲自体は骨太でとてつもなくカッコいい。

と、WorkinHard」曲とMVをリピートしていると、この秋、ドラマ「いちばんすきな花」のテーマ曲として発表されたのが「花」
ドラマの予告で微かに流れているのを聞いたり、またドラマ中で使用されている曲のイメージからは、ドラマのイメージとも相俟って儚げな印象だった。
でも曲だけを聴くと、歌詞は相変わらず「藤井風」だなあと思い、素晴らしいと思った。
なんせ歌い出しの歌詞が 枯れていく 今この瞬間もーーーー
ですからねえ(これこそが藤井風!)。


そして、24日の夜に公開されたMVを見て衝撃を受けた。

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今時の若い人の言葉を借りて一言で言えば、ヤバイ、になるのでしょうか。
少し前に、MV撮影地を窺わせる砂漠っぽい土地でお馴染みのあの黒いタオルを頭に被り、後ろにロバのいる藤井風の写真を見ていたので、また動物が出てくるのかな、きっと意表を突いたいいものができあがるのだろうな、くらいに期待していた。
砂漠とロバと金髪ボーイと......絵本のような世界をちらっと想像したり。
ところが、想像の遥か彼方遠くというか、こちらの凡庸な想像を大きく大きく超えていたのだ。
冒頭、いきなり黒服姿の風(=黒風)が荒野の中で棺を引きずっているシーンから始まるのである。
その棺の中には、花に埋もれた本人自身(=花風)。
「WorkinHard」 で、つなぎ姿の風が登場する時も頭を殴られたような気がしたが、今回はそれ以上だ。
でもって、髭あり、カラフル短髪、ストリート系ファッションのやんちゃ系でここのところきていた藤井風が、いきなり素肌に黒ジャケット、ピアス(かイヤリング?)、ネックレス、髭なしストレートヘアという姿で、喪服という想定でありながら、けしからん!というぐらい妖艶なのだ。
これだけで、やられてしまうわけですが、まだまだ続く。
黒い車に乗り込み、片手で颯爽と運転する黒風。
えっ、海外かどこかで免許取った? わからないように牽引されてる? というのは
、まあ、脇に置いておき。
やがて、黒風が遺影のような額縁の中に閉じ込められ、棺の中から花風が蘇るのである。
花風は軽やかに踊り、お線香をまるでタバコのようにくわえ、祈り、青空を仰ぎ、やがて夜空の月の下、火を囲んでダンサーとともに踊り、最後は土塊に、砂となって消え去る......。
これが4分半弱のなかで展開されるのだが、まるで一本の短編映画のようで、初めて見た時は呆然としていた。
民法ドラマの「花」のテーマソングが、MESS監督と藤井風にかかると、こう展開するのかと。
ドラマ自体は、とても傷つきやすい若者たちが主人公で、周囲の目ばかり気にして疲弊しているので、もっと好きに生きてくれ〜と叫びたくなり、毎回見ているわりには、私は今ひとつ乗り切れないところがあった(これからどういう展開になるかわからないし、別の角度で見るとまた違うのかも)。
だから、このMVを見て、やっと自分のなかで「花」で歌われていたことが定着した気がする。
MVは生々しいというか、それでいて現実感があまりなく、生と死のコントラストがくっきりな印象で、不思議な映像だ。
花柄の布を繋ぎ合わせたパッチワークのカラフルな衣装は、メキシコの「死者の日」の祭りを連想させる。
死者を送る人(黒風)が、送られる人になり、送られていた人(花風)が送る側になる。
古い自分を捨てて、新たに生まれ変わる、あるいは自分が死んで、次の世代が生まれ......という、いのちの循環を象徴しているのかな、などなどいろいろに解釈できるなあと思いながら、繰り返し見ていた。
英語字幕を見て、「枯れていく」"It's  dying" になっていたのも目からウロコ。
X(旧Twitter)では、放心状態になりながら絶賛、という感想が多かったけれど、ちょっと怖くて悲しいとか、近親者の死を体験したばかりの方は見ることができなかった、というような感想も目にした。
受けとめ方は人それぞれで興味深いなと思った。
そういう、ちょっと不穏な印象を受けることも含め、私はすごくすごく好きな映像だ。
使い古された言葉かもしれないが、癒された。
連日、ガザの酷い映像を目にしていて、何もできない
自分に打ちのめされていたのだが、この映像で自分のなかの流れが少し変わったような気さえする。
言い方が難しいのだが、それでパレスチナのことを忘れてしまうのではなく、
現地の人々は、未だに惨いなかにいることに想いを馳せつつも......自分はちゃんと生きるというか(うーん、やはりうまく表現できないが)。


さて、古い自分を捨てて、新たに生まれる変わると書いたけれど、もっと突き詰めると、こういうふうにも解釈できるのか、と思った一文を紹介します。

カラフル風=魂 または ハイヤーセルフ 真我または 永遠に枯れない花

黒風=肉体 または 物質的なものやいっとき限りの儚いもの全般 エゴ しわしわの花束

note.com

erinadiさんのnoteから引用させていただきました。
それから、
「香りは魂のごはんです」という箇所もあって(お線香が出てくるところ)、ああ、なるほど、仏壇にお線香をあげるという意味はそういうことかもねえと。

仏教思想的な背景が強い感じだけれど、私が思い出したのは、ミヒャエル・エンデの  『モモ』というファンタジー作品。
時間泥棒に時間を盗まれた人々を救うべく、少女モモがマイスター・ホラとともに、ひとりひとりの人間が持つ時間の花を目にするシーンがとても美しいのだ。
暗い水面に、時計の振り子が近づくと花が咲き、振り子が遠ざかると花が枯れていく。
そこには微かに響く音楽も聴こえてくる......。
その美しさに、モモは感動しつつ、あっという間に枯れていく儚さに胸が痛くなる。
エンデはその時間の花に人の一生を託し、その花が、時間泥棒である灰色の男たち(=物質主義の象徴?)に奪われていく怖さ、虚しさをファンタジー作品として表現したのである。
まさに藤井風が書いた「花」の歌詞とつながっているような気がする。

咲かせにいくよ 内なる花を 

探しにいくよ 内なる花を

my  flower's  here        my  flower's  here......

 

ともう、あれやこれやいろんな想いが湧いてきて、キリがない。

ビジュアル的な魅力だけでも、もうほんとにやられっぱなしで、ワルな感じの、危険な香りのする黒風も実に魅力的なのである。
額縁に閉じ込められつつ、クッ
と微かに笑うところとか。息が止まりそうです。
一方、花風は、お線香をくわえながら、子どものように軽やかに飛び回り踊るところがえらく可愛い。可愛すぎる!
さらに可憐でもあり、ジェンダーレスな魅力に満ちている。
そうそう、額縁の中でアップになる黒風、あの辺は、山田監督による「死ぬのがいいわ」のイメージ映像のオマージュかな?とか。
オマージュといえば、ほかにもそう思わせる箇所がたくさんあり、あのカラフルな衣裳で踊り回るのは「燃えよ」だし、夜の焚き火は「青春病」だし。
音楽的な分析は誰か、専門家に頼む!(すごいのはわかるけど、言語化できない) 
菊地成孔氏は「Workin' Hard」の転調がヤバイと言っていたっけ。


「grace」
に続いて、「Workin' Hard」、その次が「花」で、こんな完成度の高いものを次々と生み出し、いったいどこまでいくのだろう?と、ちょっとこわくなるような気持ちで、それでいて、わくわくしている。
🪷みんなの「WorkinHard」な日々に贈られた花」、そのはきれいなだけではない、死を思い起こさせる何か本質的なものを宿した厳しさ、悲しさ、そして儚さもある。
だからこそ尊い

この世に生まれてきた時間には随分と隔たりがあるけれど、藤井風の音楽を享受できること、同時代に生きることができた巡り合わせを本当に幸せに思う。
これはもう奇跡です。

夏休みの写真ちょこっと日記

夏休みも終わり。
というわけで、珍しく10連休だったので、振り返ってみることにした。
絵日記ならぬ、写真ちょこっと日記(単なるスマホの写真だけれど)。

8月10日(木)夏休み1日目
今までの疲れを癒すべく、だらだら寝ていたかったが、午前中にケーブルTVの人が室内に来て作業してもらう用事があり、ベッドから体を引き剥がすようにして起床し、待機。
幸い10時過ぎに終了、せっかくなので、暑さにひるみながらもそのまま吉祥寺へ。
ダンディゾンというオシャレで美味しいパン屋さんでパンを調達......したけれども、私が好きなドライフルーツやナッツ入りのハード系のパン、大きさが一回り、二回りくらい小さくなって、価格が1〜2割以上上がっている感じで、購買意欲も削がれ、かなり控えめなお買い物。
もうどこもかしこも値上げラッシュですなあ。
それから近くのイタリアンでひとりランチ。
ホールも調理場も、スタッフ全員ノーマスク。
あまり混んでいなかったし、面と向かって誰かと話し込むわけでもないので、気にせず食べたが、不特定多数の人がマスクを外す飲食の場で、スタッフの人たち、強気だなあと思った。
と、初日はこんな感じで終了。

11日(金)山の日
東京ステーションギャラリーにて開催中の甲斐荘楠音の展覧会へ。

ここぞとばかりに、この夏に購入した竺仙の浴衣を(もちろん新古品)、半衿と足袋で夏着物風にして頑張って着て出かけた。
会場には、着物姿の方はもちろん、浴衣の可愛い若い女の子たちもいて、こういう人たちを密かに観察するのが愉しみ。
甲斐荘楠音は、この「横櫛」が有名。
長襦袢姿の女性のこの絵を表紙に使ったのが岩井志麻子の『ぼっけえきょうてい』で、そのイメージが強かったので、岡山弁もおどろおどろしいイメージだったが、岡山弁は藤井風のおかげですっかり「可愛らしい言葉」に変わった。
甲斐荘楠音も本人のことを知ると、大変に興味深く一気に好きになった。
いわゆる美人画日本画とは一線を画す、異才。
浅い知識で絵を見ていた時は、女性を必要以上に妖艶に少し怖いものとして描いているのではと思っていたが、当時から自ら女装して写真撮影し、絵のモデルになったりしていたことを知ると、見方が変わる。

右が甲斐荘楠音(会場外に飾ってあった)。子ども時代から歌舞伎が大好きで、男性が美しく女形を演じているのを夢中になって見ていたそうだ。

また、晩年に手がけた、東映の時代劇映画の衣裳(着物)もずらりと展示してあって見応えがあった。
その『旗本退屈男』の動画も会場で少し見た。
昔の時代劇映画を見るのは久々で、日本刀を一振りするだけで人が血の一滴も流さず、ばたばた死んでいき、さらに斬られた方は倒れず血の一滴も流さす自分からささっと消えていくという、今の大河に慣れた目で見ると、ちょっと笑いたくなるような演出だった。
でもこれが当たり前だったのだなあと思い出した(まあ、歌舞伎もそうだし)。
未完のままの「畜生塚」も圧巻だった。
中心にピエタをオマージュしたと思われる人物が描かれていて、西洋絵画もかなり研究していた人だとわかり、興味深かった。
生没年は1894〜1978年。
70年代後半まで生きていたことににも驚いた。

この日の着物。
竺仙の奥州小紋、菖蒲柄。
浴衣になぜ5月の菖蒲?と思ったが、邪気を払う菖蒲の意味が込められているそうで、あと「勝負に勝つ」の「しょうぶ」にかけているとか。
でもまあ、私のモットーは
勝ちや負けとか一切ない ない ない」(by 藤井風”まつり”)
なので
関係ないのですが。

12日(土)
友人と、中央線の武蔵小金井で食事。
つれあいも合流するはずだったが、関西方面の台風の影響で今回は東京行きは断念。
というわけで、友人2人と3人でこじんまりとイタリアンで食事。
大勢でわいわいするのが年とともに苦手になっているので、このくらいの集まりが一番いい。
イタリアンといっても素材にこだわった、さっぱりした味わいで美味しかった。

カンパネッラ→https://www.facebook.com/Italiankitchencampanella

この日は、カジュアルなイタリアンなので、昨日の竺仙の浴衣を、ほんとの浴衣として着てみた。足元も素足に下駄。
心配だった木の下駄もすっかり慣れたなあ。
脚が鍛えられる感じで結構好きかも。
お祭りにも花火大会にも行かないので、こういう機会でもないとなかなか着る機会がない、私の浴衣......。

13日(日)〜14(月
外出が続いたので、自宅でおとなしく過ごす。
雑然としていた机周りを整理する。
こんなものいらないでしょう、というものがザクザク出てくる。
まったく片付けは終わらない。

15日(火)
13〜14日と同じようにして過ごした気がするが、あまり記憶がない(苦笑)。
敗戦記念日」と思いつつ、メールの整理をしてたかな。
使用していないGmailの旧アカウントを整理。
残したいメールだけ残して、一気に削除と思うも、2010年以前の震災前の比較的のんびりした頃のメールや、菅首相誕生(!)の話題などが出ているメールなどをつい読んでしまう。
今はもう故人となってしまった同世代の友人のメールも出てきて、あまりに当たり前の日常のことが綴られていて、感慨にふけってしまう。
もういない人とは思えなかった......。
捨てるに忍びなく、友人からのメールはほとんど全部残すことに。
それが500通くらいあるので、今のアカウントにせっせと転送し、フォルダに振り分ける。

もちろん、この作業もまだまだ途中。
Gmail、容量が大きいので溜まっても全然平気なので、これから気をつけないと収集つかないなと反省。
皆、メールはどうしているんでしょうか?

16日(水)
お出かけの日。
池袋西武の骨董市を覗いてみた。

http://hhttps://www.sogo-seibu.jp/ikebukuro/topics/page/kottou202308.html

リユース着物屋さんも出ていて、小千谷縮とかいいものがたくさんあったが、きりがないのでぐっと我慢。見るだけにしておく。
代わりにといっては何だが、ヨーロッパの陶磁器のアンティーク屋さんでロイヤルコペンハーゲンのちょっとしたものを買ってしまう。
ロイヤルコペンハーゲンのモチーフはブルーのお花やデンマークの風景が多いが、漁師が網を引いているという、労働のシーンの絵柄は初めて見るもので、レアだなあと思って。
このブルーグレイの色味が好きなんですよねえ。
飾り皿ですか?と聞いたら、たぶんペントレーだとのこと。
確かにかにちょうどペンを置く長さ。
でも、陶器のトレーにごろごろとペンは置きたくないので、飾っている。
1940年代頃のものとお店の人は言っていたが、あとでネットで調べたら、1968年頃らしい(後ろの暗号のような刻印でわかる)。
と、またまた実用的ではない、なんとなく好きな物が増えてしまった!


その後、有楽町に出て映画「ジェーンとシャルロット」を観る。

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シャルロット・ゲンスブール初監督、母親ジェーン・バーキンを見つめたドキュメンタリー映画
憧れの人だったジェーン・バーキンがこの夏、亡くなった。
かつては時代のアイコン、年を重ねても自然体で颯爽としたイメージのジェーンだが、少女時代から不眠症睡眠薬が手放せなかったことをこの映画で初めて知った。
老いることや、娘たちへの、特に自ら死を選んだ長女ケイトに対する自責の念など、不安や後悔を抱えたひとりの女性の姿が包み隠さず映されていた。
ケイトが亡くなってから、心身ともにすっかり変わってしまったというジェーン自身の言葉が痛々しかった。
シャルロットとも姉妹のような仲良しと思っていたのに、互いに距離があったことも。
有名人のこと、表に出てくるイメージだけで知った気になる怖さも感じたりした。
また、セルジュ・ゲンズブールのパリの住まいがそのまま30年前のまま残されているのも驚き。
缶詰とか香水とか、そのまんま残っていて、日本人的(?)な心情からすると、そういうのは処分してさっぱりした中に、大事な要素だけきれいに残して記念館にとかにすればと思うのだけれど、ああいう雑然とした残し方もそれはそれで面白い(誰が管理し続けるのかとか気になるけど)。
それにしても、ジェーンの最後の映画が、娘シャルロットの初監督映画というのは、幸福なことだったのではないか。
シャルロットの映像と音楽のセンスが素晴らしかった。
「人はなぜ母親から離れるの? それが人生の目的みたいにーー」というシャルロットの言葉が胸に残る。


16日(木)
5月の連休中に持ち越した、部屋中のカーテンを洗濯する!を決行。
大きな窓4枚分と、同じ枚数のレースのカーテン。
レールから外してフックも洗って、洗濯機6回くらい回して洗って、干して、またフックを付けて、レールに付けてと、なかなかの重労働。
それから生協の配達もお盆休みなので、食料の買い出しへ。

17日(金)
週末の掃除を前倒しして、仕事が始まったらできるだけ行かないで済むようにと、今のうちにと病院へ2つ行く。

そして、今日19日(土)
ひたすら洗濯し、昨日と似たようなことを繰り返し、土曜の夜も更けてゆく。
夏休みって、優雅に避暑に出かけなくても、もっとぼーっとのんびりしたーい、なぜ、せっせと物の整理とかカーテン洗濯してるのかなと思うけど、日頃、仕事だけに追われ体力、気力的に何もできないからだよなあ。
でも通勤しないで済んだこの10日間は心身ともに楽だし、確かに少しは疲れた癒えたかな。
ああ、でも来週から容赦なくまた仕事は始まり、そして暑さも続くらしい。

考えてみれば、東京で過ごす最後の夏なのだが、そんな感慨も吹き飛ぶ暑さ。
温暖化なんて生やさしいものではない、気候変動が怖い。

(夏休み中、藤井風のBlu-rayの2時間ドキュメンタリーを見直したりして、あらためて感動していたが、長くなってしまったので、今回はここまで)

藤井風 Netflix配信のパナスタライブを視聴

Netflix配信の藤井風  LOVE ALL SERVE ALL Stadium Live ”Panasonic Stadium Suita” 2022/10/15-16を、今日、全編通してやっと視聴。

今まで途切れ途切れに観ていたら、印象がまとまらず、これではリアル参加していたのにほとんど忘れている当日の体験と同じだと、思い切って一気に視聴した。
全編通して視聴するとさらに、当日ここにいたのに、私はいったいどこにおったんじゃ?という不思議なライブを再体験というか、これはもう初体験だな。

当日のレポートはこちら

  ↓

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通して観ることで、山田監督による演出の意図もよくわかった。
当日はオペラグラスで風さんを凝視(笑)していたため、背景の映像、演出などのほとんどを見落としていたのだ。
執着すると、ろくなことないですね。
映像は、木、花、水、炎など、自然がテーマになっているものが多く、曲とちゃんと連動していた。
「ガーデン」は8ミリで撮影したような懐かしい質感の映像、草木や花のなかに佇む風さんのなんとエモーショナルなこと!
「きらり」の前は少し雰囲気が変わって、シャープで疾走感のある映像もよかった。様々な映像が曲への橋渡しになっている。
特に前半の白い衣裳の白風から、赤い和テイストの衣裳の赤風への変換が鮮やか。
赤い衣裳の風さんがサックスを吹く。
そのサックスのイントロから始まる「死ぬのがいいわ」。
この「死ぬのがいいわ」は妖しくレトロな味わいの艶っぽい恋愛の歌に聴こえながら、内面の自分と対峙する哲学的な歌とも解釈でき、深すぎる、よすぎる!
また、あれだけ動いて走って、踊って、時には椅子に横たわったままで、あれだけの声量と安定した歌声を保てるというのは、すごい。
こういうことも当日はなんだか夢中で気づかないものだ。
ダンサーたちの衣裳も白風の時はインド(エスニック?)っぽく、赤風の時は羽織りみみたいな和テイストになっていたし、バックで演奏する皆さんもそれぞれ素敵なシャツ姿だった。
そんなことも、会場にいる時は全然気づかなかった。
というか、なんせスタンド5階席の最上階だったので、見えなかったわけで。
ほかの方も言っているけれど、なるほど、このライブはこのNetflixの映像を鑑賞して、初めて完結するのだ。

それにしてもライブ中に「疲れたじゃろ、座ってもええで」と言うアーティストは風さんのほかにはいないだろうなあ。
このMCは入っていたけれど、大部分カットされていて、これがNetflix配信による世界標準なのかと思ったり。
ファンはモノとしても持っていたいので、ディスク化してほしいところだけれど、世界中の人に観てもらうためには、これが最良の形なんだよね。

Netflix配信後はすごいことが起きそうな予感が、なーんて言っていた私だけれど、特に大きな動きは伝わってこない(今はじわじわと浸透している時期なのかも)。
そして、ツアー中はあんなに強風だったのに、今は微風、いや「凪」といってもいい感じ。
何を仕込み中なのかな?
少し前にd4vdというアメリカの若いアーティストとのコラボっぽい何かが進行しているらしいことが、d4vd自身のインスタに上がっていたくらいで、詳細はわからず。
こういう時期があってもいいよねと思いつつ、今まで、YouTubeの生配信とか、本当にたくさんものを与えられていたんだなと思う(当たり前と思ってはいけないのだとも)。


さて、今回パナスタライブを見て、あらためてなぜ風さんが好きなのか、一層よくわかった。
夢を諦めないでだの、父や母に感謝だとか歌わないところ。
ピアノはもちろん声が好き。
そして、その歌詞。クリスマスだの桜だのをモチーフにした曲を作らず、抽象度を高め、故に普遍性があるところ。
さらに本人がユーモアがあってやさしいところ(言うまでもないですね)。

 

最後に。
先日、坂本龍一氏の訃報が伝えられた。
無理にこのことを絡める必要もないのだけれど......。
私はそれほど熱狂的なファンではなかったが、1980年代に「青春」を過ごした世代としては、YMO坂本龍一の影響はとてつもなく大きかった。
特に文系女子男子の間でYMO坂本龍一に興味なかった人はひとりもいなかったと言っても過言ではない(いやいや、YMO全盛期の頃は、文系も何も関係なくてとにかく爆発的な人気だった)。本当に偉大なアーティストだった。
アーティストの肉体がこの地上での役割を終えても、その音楽と魂は永遠だと思うが、やはり寂しい。
そんなふうに様々なアーティストの訃報に接すことが増え、自分も人生の後半(さすがに終盤とは言わないけど😅)に向かって歩きつつあるなか、藤井風という奇跡のような人と音楽に出会えていることは、人生の贈り物のような気がしている。

まさにgrace! 風さん、本当にありがとう。

 

♪おまけ♪

近況もなく、ずっずダイアリーもなく寂しいので、遊んでます。
藤井風さん公認(!?)「全おばあちゃんへ。昔の旦那の写真って言って良いよ」のポストカードに合いそうな額を見つけたので、ようやく飾ることができました。
(オフィシャルのグッズコーナーでは、まだ販売中!)

藤井風 さいたまスーパーアリーナ       LAATの思い出

1月15日(日) さいたまスーパーアリーナ、藤井風アリーナツアーに行ってから早くも1か月と10日以上。
こういうのは行った翌日くらいに、ぱぱっと書くべきなのだろうけれど、ファイナルを迎えてからの方がよいかなと思っているうちに、こんなに時間が経ってしまった。
「何なんw」の動画も上がっているし、感想もSNSにいっぱいあがっているので、今さら書くこともないかなと思うも、自分の思い出として残すために書いておきます。

当日は、2021年の横アリも同行した友人と、その友人のかつての上司さんとそのご友人と4人。
友人の元上司さんは今は北海道在住なので、はるばる北海道からの初参加。
ライブ初参加にして、アリーナ席が当選!(私と友人はスタンド席)

ライブは、暗闇の中から風さんが静かに現れ、「The sun and the moon」をピアノの弾き語りで。
この曲が使われた映画の方は未見で、聴く機会がなかったので嬉しかった。
本人の曲だし、本当に美しい曲なので、いつかアルバムに収録されるか、サブスクでも解禁にならないかな。
それから、「きらり」の前に流れた映像、サングラスをかけて、なんというか1980年代のMVばりのイケちらかした感じのあれは、様々に話題になっていたけれど、あれはくすりと、笑うところだと私は感じたw。
そして今、世界中で愛され、紅白でも歌われた「死ぬのがいいわ」......最後、倒れてしばらくじっとしつつ、そのまま「青春病」に入っていく演出には心震えた。
そうそう、私が藤井風が好きなのは、きらっきらっの青春を歌うのではなく、青春を「どどめ色」と歌うところなのだとあらためて感じ入った。
ラストの「何なんw」まではあっという間だった。
今回はこの曲が撮影、録画OKに。
スタンド200レベルからの眺め(動画の一部をスクリーンショット)。

パナスタのスタンド5階、最上階よりはだいぶ近づいたものの、やはり遠かったなあ。
死ぬまでに一度でいいからアリーナ席を熱望!
でも1曲だけ撮影、録画OKっていいよね。行けなかった会場も覗けるし、行った本人の思い出にもなるし。
何よりSNSで拡散されて海外へのプロモーションに自然となるし。

MCで子どもたち〜 若者〜 お年寄り〜 中年〜などと呼びかけていた風さん。
武道館のライブの頃と比べたら、随分と余裕が出てきて、楽しんでいるなあと感じた。
私はもちろん中年枠だけれど、あの歌詞の深さは年を重ねた人間にこそ響くのよ〜と主張したい。
だから、中高年以上のファンが多いのも仕方ないとあきらめてほしいw。

たまアリもセンターステージだったので、風さんがくるくる走り回って後ろ姿になっても楽しかった。
後ろ姿になった時こそ、オペラグラスで凝視していた私。
背中がしなやかで見ていて全然飽きなかった。
で、その向こうで、皆の揺らめくような歓喜のオーラが見えた(ような気がした)。
今回は、Yaffleさんもキーボードとして参加していたし、風さんの一層伸びやかになった歌声も身のこなし方も、自転車で会場を回る演出も、若いダンサーたちのダンスもすべてが素晴らしかった。


終演後、大宮へ移動しささやかな打ち上げというか、食事をすることに。
友人の元上司さんは、アリーナ4列めで、実質最前列だったと! 
「北海道から遠征した甲斐あった、一生分の運を使い果たしたかも」
「こんなことってあるのね」と何度も繰り返し、
「風さんはとにかく可愛くて歌っている間もニコニコで、ここにいる皆に感謝して喜んでいる様子が伝わってきた」とも。
その方は、ちょうど当日訃報が入った高橋幸宏氏とほぼ同年だとかで......そういった年代の方も(しかも北海道から)動かす風パワー、すごい。
2021年の横アリの時は、今よりもっと社会がコロナ禍真っ只中で、ライブが終わった後もどこにも入れるお店がなくて、寂しかったから、今回はそうやって皆とわいわいと共有できて楽しかった。

で、余韻を味わうため翌日を休みにしたのだが、満足感とともに、しばらくライブはないそうなので、虚脱状態とまではいかずとも、気が抜けたような寂しい感じだった。
パワーを補充したはずなんだけどな。
でもまあ、こんな甘美な寂しさを味わうのも悪くないなと思った。

その後も、ツアーの合間を縫って、マネージャーずっず氏がU25の若いスタッフたちをアプリで丁寧に紹介したり。
皆、今は笑顔だけれど、この3年間を振り返れば、つらい日々を過ごした人が多いに違いない。きっとそういう思いを込めての紹介だと思った。
最後にヘンレコ係長(=藤井風氏)も登場。
不思議に裏方の現場に馴染む風さん😄

そして、3月10日にNetflixで昨年秋のパナスタのライブが全世界に公開されるそうだ。
今までYouTubeSNSなどで小出しにされているものだけで、これだけ盛り上がりつつあるのだから、あのパナスタのすべてを見たら世界の人々はいったい......楽しみなような、こわいような。
何がこわいのかわからないが、何か起きそうな気配。
Netflix配信に先駆けて、「damn」だけ公開。
見てみたけれど、私もその現地にいたのにまるで記憶がない。いくらスタンド最上階の席だったとはいえ、新幹線代とホテル代をかけて何をしてたのだ?とびっくり。 
その時、感動してたのは間違いないのだけれど。
演出が盛りだくさんで、あとワクワクし過ぎて、脳内の処理が追いつかなかったのかも(そういう人が多かったみたい)。
今にして思えば、演出が盛りだくさんというのも、Netflix全世界配信が前提だったのですねえ。
今度はじっくり細部に目を凝らします!

勘違いな適当な記事なんかも少しあったけれど、やはり藤井風はその音楽にすべて答えがあると思う。
週刊誌的な記事に回収されるには、深すぎる。大きすぎる。

今はチーム風は「仕込み中」といったところかな?
微風だけれど、実はその裏でみっちりいろいろ進行されていることを予感している。
何にせよめでたい

 

*追記*
音楽好きな友人Mさん、好きなバンドやアーティストがいっぱいいるので、あえて藤井風のことは話題に出したことがなかったが、「紅白の『死ぬのがいいわ』で魂をもっていかれた」とのこと。
次、ライブがある時は誘ってほしいと言われ......どんどん広がる〜。
そう、特に「死ぬのがいいわ」は、魂をもっていかれるという言葉がぴったり。

 

*おまけ* 

今回は体力を温存するため、並ぶのは避けグッズ購入は控えた私。
代わりに埼玉まで行くのだからと、銘菓「十万石まんじゅう」を購入。
以前、お土産にひとついただいてとっても美味しかったので。
というわけで、まんじゅうを抱えてライブに行ったのでした。
棟方志功が「うまい、うますぎる」と感動し、絵を描き、それが今が
パッケージになっている。
確かに、「うまい うますぎる」なまんじゅうです。
皮が上新粉と山芋でふわっ、あんこは上品な甘さで絶品!
たまアリの翌日に食べて、終わって寂しい気持ちがちょっと慰められました。

www.jumangoku.co.jp

紅白を超越した紅白での藤井風       新年の挨拶に替えて


あけましておめでとうございます。
昨年2022年の紅白の藤井風さんの衣裳が新年にぴったり、というか、あまりに素敵だったので、公式インスタグラムからお借りしました。

さて、紅白の前に、12月28日に放送された
NHK MUSIC SPECIAL 藤井⾵〜 藤井風 いざ世界へ」
を見た。
東南アジアから広がって、今、世界中で聴かれている「死ぬのがいいわ」。
番組のなかで、歌われている「あんた」が、内なる自分のことであることを本人の語りから初めて知って......目からウロコが1,000枚くらい落ちた。
変わった曲だな、若いのにこんな昭和歌謡みたいな曲を創るんだ〜から、いや、この「あんた」は恋愛相手ではなく、風さんにとっての音楽と読み替えてもいいのかな、くらいには想像していたが。
自分自身を手放したら、それは死んだも同じ、という意味なのだから、あんた=音楽と読み替えても、確かに同義だとは思うが。
そんなふうに託された想いは、初めは正確に伝わらなくても何か真実は伝わってくるものなのだと感動したり。
また、受け手が様々に解釈できる広がりがあるのも、この曲の魅力。

そして、昨年の紅白。
選曲は「死ぬのがいいわ」。
2021年の凝ったサプライズ出演とは正反対の、シンプルな演出がよかった。
出演が決まった当初は「grace」か「まつり」を予想していたのだけれど、紅白への相応しさを選ぶのではなく、海外へのファンを大きく視野に入れた選曲に潔さを感じた。
でも「grace」も歌ったりして、と期待もしたが、当日は「死ぬのがいいわ」一択で、それが正解だったと思う。
録画を何度か見返したり、ほかの方のツイートなど読み、相反するふたつのものを表現していたことに気づいた。

例えば。
衣裳やヘアメイクなどがジェンダーレスな印象を受けたーー勝気な美人!みたいな感じで(顔は似ていないけれど、長身のモデルの冨永愛さんとかを連想)。
そして、ほかにも仕掛けがいっぱい散りばめられていた。
女と男(紅と白)、聖と俗(あの衣裳とあの振り付け)、自分と自分のハイヤーセルフ(演奏する風×モニター上の風)。
「紅白」という昔から続く娯楽としての歌番組の中で、そこにいながら、風さんの出演していた時間だけ、紅白を超越していたように思う。
そうそう、あの衣裳、私は法衣のようだと思ったけれど、どなたか、ツイートで巫女の緋袴と言っていて、確かにそうだ!と思った。
だから、衣裳はまさに和と洋の融合でもあったのだ。
そんなこんなで「死ぬのがいいわ」の世界が多角的に表現されていて、今回もまたまた驚かされた。
山田監督がスタジアムライブ用に編集したMVでも十分驚いていたのに。

風さんが信じるものに関してあれこれ言っている人がいて、私もちょっと胸を痛めたりしたが、彼の創る音楽に答えはすべてあると思う......ので、私自身もぐらつかずにファンであり続けたい。
というわけで、2023年も引き続き風に吹かれまくる1年になりそうです。
(風さんの世界進出も期待!)

🐇あ、それから私はうさぎ年なので、年女。
今年は「変化に向けての助走の1年」にもなりそうです。
いろいろなことを書き綴るブログのはずだったのが、だんだん藤井風を語るブログになりつつあるけれど(笑)......ゆるゆるとやっていきますので、よろしくお願いいたします。

藤井風の音楽は神様からのcalling、そして夢で聴こえた「grace」 

クリスマスなので、風さんのことを書いてみることにした(何の関連性もないけど)。
最近、また夢の中で藤井風の「grace」を聴くという体験をした。
でも覚えているのはそれだけで、どういうストーリーだったのか、まったく思い出せない。
なんだか面白い夢だった、というのは感触として残っているのだけれど......そうしたら、さっき、クリスマスイブの晩にふいに思い出したのだ。

www.youtube.com


今回の夢も、「まつり」を夢の中で聴いたのと同じ状況。
もしよろしければ、こちらも(訪問者数の超少ない私のブログの中で、なぜかこれが一番人気)。

kate-yuki.hatenablog.com

休みの日の朝、起きるにはまだちょっと早い......というわけで、apple musicのプレイリストに入れてある藤井風をシャッフルして聴きながらの、よくある二度寝
その二度寝の夢の中で、「grace」がかかっていた。
で、夢の中でも私は寝ていて「grace」を聴いているという二重構造。
ただし、自分の部屋のベッドではなく、大広間のような、どこかよくわからない場所。
「grace」が結構なボリュームで流れているので、ああ、音量下げないと......と、誰かに怒られそうな気がして思っているのだが、身体が動かず、リモコンをうまく操作できない。
すると、窓の向こうから2人くらい、人がこちらを覗き込んでいるーー白っぽい服装をした、たぶん男性で、私の意識の中ではインド人ということになっているーーやっぱり音が大きかったか、なんか苦情を言われるのかな、風さんの「grace」なんだけどね、と心の中で思っているうちに、目が覚めた......と思う。
面白かったのは、「まつり」の時と同じように、夢の中ではあったが、確かに風さんの曲を流していたので、音楽だけはその時流れていた「grace」をはっきりと聴いていた、ということ。
(プレイリストの曲順を後で遡ると、「grace」が流れていたのと、夢の中で聴いていたのはちゃんとシンクロしている)
こういう経験は、風さんの音楽の時しか起きていないのでーー音楽をかけながら寝てしまうことは時々あるが、寝てしまうと何も聴いていないーーやはり、あの声には何かあるのではないかなあ。
ただし、こういうことが常に起きるわけではないところが、また面白い。


と、それだけのことで、特にオチも何もないのですが。
「grace」のMVはインドが舞台
ですでに何度も見ているから、インド人らしき人が登場しても、不思議はない。
でも目が覚めた直後はなんとも不思議で、でもって幸せな気分だった。

さて、今年は昨年以上に風色な1年となった。
紅白に始まり、2枚めのアルバム「LASA」を堪能し、
パナスタにも行き、そしてこの年末にはNHKの特番があり、紅白の出場も。
紅白は「まつり」か「grace」と予想していたのだが、なんと海外で大人気の「死ぬのがいいわ」が選曲されていた。
やはりチーム風は、意表をつきますねえ。
紅白での相応しさより、「世界へ向けて」を優先した選曲(いいと思う!)。
ただ歌うだけではなく、きっとまた何か「仕掛け」があるのではと、つい期待してしまう(いや、ただ歌ってくれるだけでも十分なんですけどね)。

ところで、昨日ラジオで、日本語でよくいう「天職」という言葉、英語だとcallingになり、神様から与えられた使命というようなニュアンスになるという話を聴いた。
日本語の「天職」だと自分に合う、やりがいのある職業といった意味合いが強くなる。
でもcallingだと、語感からも確かに「天から呼ばれて使命を果たす」という感じがする。
その話を聞きながら、藤井風にとっての音楽は、まさにcallingなのだなあと思った。
音楽の神様からcallingされた稀有な人の音楽を私たちは受け取り、人生の滋養にして、今日も生きていく。
大袈裟でなく、そんなふうに思う。


私は今年も慌ただしい年末だけど、テレビ越しに会える年末の
風さんと1月のさいたまアリーナを心の支えに乗り切りたい。
皆さまも「風と共に」よいお年を!