九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

文学作品のなかの「疫病」

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ーーそのあと、いやなことがつぎつぎに起こりました。そして、その朝がなぜいつもとちがった感じだったかが、メリーにはわかりました。コレラが恐ろしい勢いでひろまり、人びとがまるでハエか何かのようにばたばたと死んでいたのでした。

(略)

物音やあわただしい足音、コレラで死んだ者を悲しむ泣き声などがメリーをおびえさせましたが、一方ではおこらせもしました。だれもメリーが生きていることを思い出してくれる者がいなかったからです。あまりのできごとに恐れおののいていましたから、このかわいげのない女の子のことなど思い出す人もいなかったのでした。コレラのような病気がはやっているときには、だれでも自分のことしか考えられないようすでした。でも、みんなの病気がなおれば、きっとだれかがメリーのことを思い出し、ようすを見にやって来ることでしょう。

 しかしだれもやって来ませんでした。

ーー『福音館古典童話シリーズ 秘密の花園』バーネット作 猪熊葉子訳 より

 

 3月にブログを書いてから、2か月近く経ってしまった。

 その間、新型コロナウイルスの感染が世界的に広がり、この日本でもクルーズ船の騒ぎだけと思いたかったのも束の間、あっという間に拡大し、想像もしなかった状況が広がっている。

 その前に成す術もなく立ちすくんでいるといった感じで、コロナ前に書こうと思っていたことはたくさんあったのに、今はそれどころじゃないと、さして読む人もいないような個人ブログですら「自粛」モードになってしまった。

 というより、自分の仕事が在宅ワークも不可で、日々疲れていただけなのだが。

 

 医療の専門家でもないし、メンタルヘルスに役立つことを言ったりできる立場でもないし、なんの有益なことも書けないのだが、せっかく今年から始めたブログなので、ちょっとは再開してみることにした。

 冒頭の文章は、有名な児童文学の名作『秘密の花園』のはじまりの部分。

 そういえば、あのお話はメリーがインドにいる間に、何か熱病か何かが流行る話ではなかったかな?とふと思い出し、久々に取り出して読んでみたら、まさに恐るべき疫病「コレラ」が蔓延した時代だったのだ。

 メリーの乳母が亡くなり、ついで両親もなくなり、器量も顔色も悪く、性格も可愛くないメリーはひとりぼっち。そして英国に戻り、おじさまのところに引き取られる……という設定だったのだ。

 そこから先の展開が鮮やかなので、コレラのことは記憶になく、疫病などというものは、過去のお話の世界のなかの出来事で、自分に無縁だと印象に残らないのだなあと、今回しみじみ思った。

 そうか、『秘密の花園』は癒しと再生の物語というだけでなく、アフター・コレラの物語でもあって、そのうえであの展開だったのかと思うと、ますます深みが増してくる。

 大人になった今、あらためて読み返したみたいと思った。

 私が宝物にしているのは、ハードカバーの福音館書店の古典童話シリーズで、挿絵は堀内誠一さん。高校生の時に図書館で借りて読んで大好きになり、自分のなかの『秘密の花園』のイメージはこれで決定づけられた。

 その後、映画を観たり、ほかの訳や挿絵の本も読んだが、やはりこの本が私にとっての『秘密の花園』。というわけで、最近になってやっと購入したのだ。

 購入するまで、何十年かかっているんだよ!と思うのだが、絶版にせず、ずーっと何十年も出版し続けている福音館書店はすごい。

 このシリーズは絶対買った方がよいと思う(同シリースで、ほかにもよい作品がいっぱいある)。

 

 この福音館書店の『秘密の花園』、見返しの絵も素敵です。もちろん堀内誠一さんの絵。文庫の方には入っていないので、絶対ハードカバーがおすすめ。

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 また、つれあいに教えてもらったのだが、トーマス・マンの『ベニスに死す』、この小説も実はコレラが重要なモチーフになっていたのだ!

 私はヴィスコンティの映画しか観ていなくて、原作は読んでいないのだが、主人公の老作家がベニスで美少年に一目惚れし、執着するあまり病気になって精神にも異常をきたし惨めに死んでゆく、という哀しいストーリーで、映像は美しいが、変な話だなあともちょっと思っていた。そこまでして、少年に焦がれるというのが哀れというか、何というか。

 だから、疫病が広がりつつあった……なんていう設定はスルーしてしまっていた。これもまた、疫病なんてお話の世界でしかなかった頃に生きていた自分の感じ方だったのだろう。

 コレラがひたひたと迫り、多くの人々が逃げて行くなか、アシェンバッハは美少年タジオを追い求め、ベニスを離れようとせず、その幻影を追い続け、コレラに侵され死んでいくのだ……ということに気づくと、物語の世界ががらりと変わる。

 哀しみというよりも、狂気を感じる。当時の社会状況なども克明に映し出しているのだろう。

 

原作も手元にあるので、ちゃんと読みます!

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 美少年と老人の狂気の話と単純に捉えてしまっていたのは、これはヴィスコンティが起用したビョルン・アンドレセンがあまりに美しすぎた功罪かもしれないが。

 トーマス・マン、さすが、ノーベル文学賞受賞作家である(なんて、今さらなことを言ってすみません!)。

 ちなみに、『ベニスに死す』の発表が1912年、『秘密の花園』の出版も1911年で、まさに同時代なのだ。まったく違うふたつの文学作品が同時代の「コレラ」をモチーフにしていたとは。

 

 最近は、NHKの番組「100分de名著」でカミュの『ペスト』の回が再放送されていたので、全回見たが、これまた今さらな感じだが、すごい作品で心が震えた。

 今、売れているらしいが、私もちゃんと読まなくてはとあらためて思った。

 

 こうして、疫病は文学作品のなかに克明に描かれてきたことに気づかされる。

 これもこのコロナ騒動のおかげかもしれない。「おかげ」という言い方がよいのかどうかわからないが。

 終息までいったいどれくらいの時間がかかるのか見当もつかないが、いつの日か、誰かの手によってこのコロナウイルスをめぐっての物語が書かれる日が来るのだろう。

 「めぐっての物語」でなくても、きっと、そこかしこにコロナの影は付いて回る。本当に普通の日常が変わってしまったから。

 コロナ前の社会には戻れないのだ。

 個人的には完全、完璧な終息はないと思う。ある程度、感染者数が落ち着いた段階で(それがいつになるかもわからないが)、共存していくしかないのだろうと。

 だから、来年のオリンピックも中止になるのではないかと予想している。

 これを機にオリンピックは廃止したらよいと思う。

 膨大な予算をかけ、国単位で競うことになんの意味があるのだろうか(というのは、コロナウイルス以前からずっと思っていたこと)。

 

 私個人は都心まで通勤し、結構大変な日々である。

 職場はシステムが追いつかず、リモートワークもほとんどできず(せいぜい週1日くらい自宅作業できればよいという感じ)、買い物もあまりできず、ランチの調達にも苦労し、消毒用エタノールがどこにもないので、無水エタノールで手づくりクリーナーをつくって素手で使ったら指がぼろぼろになりかけたり(手袋をせよとネットにはちゃんと書いてあった)……あるいは、38度2分の熱が出る夢を見たり、などなど、疲れているといえば、疲れている。

 疲れているのだが、電車は空いていて、人気のない街中は静かで以前よりストレスはなく、不思議な感覚なのだ。ストレスはないが、シャッターの降りたレストランの前を通れば、経営している人、働いている人たちはどうしているのだろうか?と、心配になってくるが、今は好きだったお店に行くこともできない。

 そう思っている反面、自分の仕事は変わりなくあるわけでーー収入が確保されていることはとてもありがたい。

 そのおかげで、お取り寄せスイーツやら何やら普段以上に頼んで(自分を甘やかし)、こうしてブログなんかも書いていられる。

 だけど、もし自分が感染したら……と思うと不安……っていうのは誰もが同じだろう。

 その辺の自分の日常のことは、また別の時に書こうと思う。

 

 あまり役に立つようなことが書けなかったので、代わりに、私自身が励まされているということで、人類学者の磯野真穂さんをおすすめします。

 ツイッターのアカウントもあるし、著書もいろいろある。

 医学一辺倒だけでないものの見方は、今の息苦しい状況にちょっと風穴があく感じ。 少し前までは私も、専門家のアカウントをフォローしまくり、NHKの特番は必ずチェックしていたが、一般人ができる感染症対策など自分ができることは限られていて、それはだいたいわかったので、今は自分の精神状態を健やかに保つための情報は何か?を指標にしている。

 そのひとりが磯野真穂さん。

www.mahoisono.com

 困難な状況だけれど、「家畜化」されずに生き延びるため、文学や人類学は大切!と思っている。

田嶋陽子さんのことを何も知らなかった

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先週から飾っていたバラに、ミモザとマーガレット一輪ずつを追加。

マーガレットはミモザを買った花屋さんからのおまけ。

 

 先月17日、TBSラジオ荻上チキ・Session-22」に田嶋陽子さんが登場されていた。

 その時のお話にとても感銘を受け、ラジコで聴き直しメモをとっていたので、今日は国際女性デーということもあり、ブログに書くことにした
 再評価されている田嶋陽子さんだが、私は1990年代に人気のあった番組「ビートたけしのTVタックル」で知り、彼女のことは結構見ていた(そういう人は多かったと思う)。

 しかし、田嶋陽子さんについては、実はかなり誤解していたことに最近気づき始めた。当時、どういう人かわからないなりにも、彼女の発言は頼もしく、面白く見ていたが、ああいうメジャーな番組に出るという点で、出たがりなちょっと変わったタレント風学者さん?という受け止め方だった。
 90年代はネットの情報もなく、彼女がどういう人か調べる術もなかったのだ。
 そんな気軽な受け止め方とは裏腹に、田嶋さん自身は必死の思い(+戦略)でのメディア登場であったことが今回のSession-22でよくわかった。

 テレビに出るなんてと批判もされたらしいが、駒尺喜美さん(1925〜2007年/女性学者。田嶋陽子さんと同じ元法政大学教授)に、

「テレビは拡声器。論文を書いたって1,000人か2,000人にしか読まれない。でもテレビは視聴率20%だったら2,000万人が見ている。10言って、1でも(主張が)出ればいい」
 と言われ、テレビに出演し続けたそうだ。

 以下、音声をすべて書き起こしたわけではなく、言葉もそのとおりではないし、要所要所の断片的なメモになるが、貴重なメッセージだと思うので、記しておく。

 

 フェミニズム」とは、どういうことなのか?

       ↓

 田嶋陽子が女である前にひとりの人間として解放されること。
 解放されるついでに、私の自由と人権を邪魔するものを駆逐していく、変えていくこと。
 自分は、当時のフェミストのなかでも異端だった。

 それまでのフェミニズムというと、「マルキシズムフェミニズム」「エコロジカル・フェミニズム」を主張する人たちがいて、それは「女の人は企業に入って働くと、資本主義の味方をして東南アジアの女性を搾取することになる」という主張だった。

 

 「マルキシズムフェミニズム」「エコロジカル・フェミニズム」というのは、私はここで初めて知った。今聞くと、そんなゴリゴリとした主張、現実とはちょっと遊離した理想論に思えるけれど、いろいろな過程を経て、今があるんだろうなとも思う。

 しかし、田嶋さんはそういうなかでも「異端」で、

 

自分で働いてお金を稼ぐことは資本主義とかと関係なく、ひとりの人間が生きていくための自由。

 

という考えを貫く。

 

・養われているとーー遠慮しながらモノをいわなくてはいけない。
養われるのではなく、ひとりで食べていくということがどうしようもない原点。

・高度経済成長期、企業は女が入ると効率が悪いから、男が200%が働き、女は自立させてもらえない(誰かの面倒をみるという役割)。

G20の議長からも日本では女の人のリソースを使えていないと指摘されている。

・女性問題は男性問題でもある。女性も働いて納税すれば国力が上がる。
というと、すぐ言葉じりを捉えて、女性は生産性の道具か?とかいう人がいるが、
働けることは女の人の人権、自由。誰でも働ける状況を整えるのは、国の役割。

 

 また、リスナーからのお便り「専業主婦になりたいという若い女の子たちにどう伝えていくべきか?」には、

 

(専業主婦を)やってみればいいじゃない。でも、違った時に人生を変える力を持たないと、人生を選べない。人生、沈没してしまう。

 

と実に明快な言葉が。

 

男らしさ、女らしさをなくさないと差別がなくならない。
自立してリーダーシップを発揮するというのは、誰でもが持っている力。

 

男らしさに失敗した人は、暴力やDV、殺人などに陥ることもある。

 

特にここが重要だと思う!
  ↓
フェミニズムとは、その人がその人を生きること。自分を手に入れた人はできる。

 

各分野では活躍する女性は増えているが(特に文学の世界など)、意思決定をするところに女の人が増えないとダメ。数が大事!(北欧はそれをやった)   

 

 フェミニズムというと、女性の権利「だけ」を振りかざすうるさい人たち、みたいな印象を持つ人も少なくないようだけれど、本当は、女性だけでなく、男性をも抑圧する古い家父長制からの解放であり、誰もが自分らしく生きるために、ということなのだろう。

 「出たがりで、よく怒っているちょっと変わった女性の学者さん」という印象でTVタックルを見ていた頃から、長い時が流れ……田嶋陽子さんが覚悟をもってメディアに出ていたことは知る由もなかったし、本来は英文学を、ヴァージニア・ウルフなども研究していたことも知らなかった。現在80代、彼女が若かった頃、女性が自立して自由に生きていくことは、どれほど困難を伴ったことだろう。
 でも、番組のなかで、男性陣にからかわれたり、馬鹿にされたりしながらも、彼女が伝え続けたメッセージはそれなりに自分のどこかに、いや、私だけでなく多くの人のなかに根を下ろしていたと思う。

 私はほかにもいろいろと本は読んでいたが、やはりメジャーなテレビ番組での発信力は大きかったのだ(その分、誤解もあったが)。
 
 私自身、学歴も豊かなバックグラウンドも何もなく、「社会」というものが本当に怖かった。両親ともに早く亡くしたせいで苦労したわりには、世の中のことをあまりわかっていなかった(教えられていなかった)ことも、その怖さには含まれていたと思う。

 それで、会社や組織で活躍できなくても、「各分野」の片隅で何かできればと夢見たが、その各分野に出ていくことこそ、豊かなバックグラウンドや親の後ろ盾や経済力ーーつまり専門的な勉強をできる環境ーーが必要だった。
 そんなわけで若い頃は挫折して、お金もなく、心が折れまくりだったが、幸か不幸か、家に引きこもることは許されなかったので、社会は怖かったが、働かざるをえなかった。
 そんな時、「女の人も自分で働いて自立しないと」という彼女の繰り返しの言葉はどこか、胸の奥底にあり、それなりに力になっていたと思う。

 私の母親も、働いて自立できなかったことが、自分の自由はもとより、ついには早く亡くなったことにもつながっている気がしてならず、田嶋陽子さんの主張(=フェミニズム)は本当に大事なことなのだ。

 

 というわけで、四半世紀以上も経った今、あらためて田嶋陽子さんにありがとうと言いたいのだった。

 

田嶋陽子さんの公式HP

 80代になられても、なんとお元気そうなことか。闘ってきた人の笑顔!

 

「着物沼」の入り口にいる私と、『着物憑き』 

 年明けから着物の着付けのお稽古に行き始めた。
 個人で教えてくれる先生を、職場の仲良しのSさんから教えてもらったのだ。Sさんは常々、骨董市などに出かけては古着の着物を探していて、楽しそうだなと思っていた。

 私も興味はあったのだが、どこからどう手をつけていいかわからず、なかなか足を踏み出せなかった。
 昨年末、大江戸骨董市に誘ってもらい一緒に行ってみて、それを機に私も古い着物に魅せられてしまった。その後、吉祥寺の古着(リユース)の着物屋さんで紬と帯を購入したのをきっかけに、いよいよ着付けを習ってみることにしたのだ。 
 Sさんによると、今、昭和のなかなかよい着物が中古市場にたくさん出ているのだとか。つまり、昭和に着物を着ていた世代がもう着ないからと不要になったり、あるいは亡くなったりで、各家庭の箪笥から大量に世の中に放たれているということらしい。
 で、それ以降の世代(私のような1960年代生まれ以降?)は個人で着物を所有している人がガクンと減るので、これからはあまり出てこないとも。
 というわけで、始めるならまさに今!と思った次第。幸い着物は、年を重ねても年齢相応に楽しめる。
 
 以前は着物に偏見というか、誤解があった。銀座のクラブのママさんであったり、成人式の派手な振袖に白いショールであったり。特に成人式の振袖は美しいと思えなかった(私は成人式でも親が早く亡くなっていたので、レンタルでも振袖は着ていない)。何しろお高いというのがあって、着物は自分とは縁のないものだった。
 でも大正時代を舞台にした映画やドラマなどで見る着物がとっても素敵で、だんだんそういうものだったらいいなあと思うようになった。でも友人に「アンティーク着物、昔の人は小さいからまずサイズが合わないんだよね。あと、生地も劣化してるし」と言われ、確かにそうだよなと思ったまま、時が経ち、無縁で過ごしてきた。
 ところが、今になってわかったのは、谷崎文学に出てくるような「着物」でなくても、昭和のものでも素敵なものは結構あるということ。中古だと、何しろ数千台で買えてしまうのだ。
 というわけで、詳しいことは何もわからないまま、着物の道に足を踏み入れたばかり。肌襦袢から長襦袢、腰紐、伊達締め……などなど、洋服の生活では想像もつかないあれこやこれやの小物が必要で、めまいがしたが、Sさんに逐一教えてもらってた。
 そして、習い始めて、やっと着物までいって、帯のお太鼓で挫折感を味わっているところ。
 また、サイズが合うと思って購入した紬も裄が短く、袖がつんつるてんなので、どうしたものかと。昭和の人は大正の人より大きくなったとはいえ、まだまだ今の人より小柄なのである。163㎝ちょっとの私だと、裄があともう3㎝から5㎝長ければ、という感じ。私もしっかり昭和の人なのだが、親世代はまだ150㎝台の人が多かったと思う。まさにその5㎝が難しい(メジャー持参で、がんばって探すしかない)。
 洋服なら、たいていどんなブランドでもお直し不要でOKだったので(ウエストが…というのはあるが、丈に関しては)嬉しかったが、着物は逆転、選択肢が狭まった。
 
 さて、そんなふうに着物というのは、何かこう一言では説明しがたい、人を魅了する何かがある。
 そんななか、ぴったりのタイミングで読むことができたのが 『着物憑き』(加門七海集英社)。

yomitai.jp
 加門七海さん自身、まさに着物に憑かれた人で、着物をめぐる怪異が何編かに分かれて書かれている。重々しい感じではなく、さらりとした筆致のエッセイ風。ご自身に実際に起きたことなのでは?と思わせるエピソードがたくさん詰まっている。

何もない状態から着物を着ようとすることは、一から登山用品を揃えて、富士山に挑もうとすることと、さして変わりのないことなのだ。ーー本文よりーー

 

 という一文を読んだ時は、なんと言い得て妙な!と思った。
 
 ある店で帯留に心奪われ、その作者の魂がその瞬間入ってきた話。
 古着の男物の久留米絣を入手したら、どうにも重く不穏な空気が纏わりついているので、ほどいて洗ったら、白髪が縫い込まれていたという話。
 美しい振袖を親戚が勝手に持っていってしまい、返してくれないので、一生振袖着てろと言ったら、その家の娘たちが誰も結婚できなかったという話。

 

一生振袖着てろというのは、一生独身でいろということだ。――略――これは着物の階段というより、言霊による呪詛かもしれない。いや、振袖が呪いの依代ならば、やはり着物の怪異となろうか。ーー本文よりーー

 

 着物は世代を超えて受け継がれるものだから、何か目に見えない物語というか、時の重なりが入り込んでような気がする。
 
 また「東と西」の章にある、京都出身の上村松園による、あでやかではんなりした『娘深雪』と、東京の鏑木清方『一葉女史の墓』に描かれている着物を比較したところも興味深い。著者は『一葉女史の墓』の少しくすんだ色合いの着物に魅かれるという。

 試しに、ネットで検索して2つの絵を比較してみたら、やはり私も『一葉女史の墓』の方が好みだった(でも、どちらも大変に美しい!)。

 ネットにあがっているものをいくつか読むと、怪談の味わいが薄く、着物を知らないとわからない、という感想もあったが、「着物沼」の入り口にいて、着物にまつわることが少しずつわかり始めている私にはとても面白かった。
 
 街を歩けば着物姿の方に目がいくし、大河を見ていても着物が気になるという感じで、世界が広がった。
 日本にこんな素敵な着物文化があるのに、このまま消えてしまうのはもったいないと思う。
 などと言ってる私だが、予算の関係で中古市場にしか貢献できず、肌着や小物を買うくらいで、呉服業界にはお金を落とせないのだが……。
 でも、着物ってこうしてリユースされ、ぐるぐる回っていくので、環境問題が言われている今、究極の「エコ」だなとも思う。

 

 まだよちよち歩きだが、友人と「着物お出かけ」するのを目指している日々。

 骨董市にもたくさん出かけたいので、新型コロナウィルスが収束することを願いつつ……当分、不安な時期は続きそうなので、家にいて本を読んだり、着物の着付けの復習をしているかな。

 でもまあ、平日は毎日、人口過密な新宿に出勤しているんですけどね。

 

袖がつんつるてんの紬。柄は気に入ったのだけれど。果たして、着付けでなんとか調整できるのか、どうか……。

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「車中の人々 駐車場の片隅で」

www6.nhk.or.jp この記事(↓)を書いた、同じ15日の夜、NHKスペシャルで「車中の人々 駐車場の片隅で」という番組が放送された。下記の記事は、15年前に書いたものの再掲で、イギリスでの問題を取り上げたのだが……。

kate-yuki.hatenablog.com 

 日本はこういったイギリスの状態に追いつくどころか追い越した感すらあるなあと見ながら思った。海外の事情と簡単には比較できないが、ここまで底が抜けたのか、と。

 番組では、今、駐車場や道の駅などで、車中生活をしている人が見られるようになったことを報じていた。失業や貧困、年金では生活きでない、DVなどさまざまな理由で家を追われた人たち。

 NHKは、1000か所以上もの道の駅を調べ、およそ3割弱の人たちが車生活を送っていることがわかったとのこと。

 「生活保護を受ければいいと言われるが、車を持っているとダメだと言われて申請できない」と答える人もいた。車を手放せばすぐに受けられるかというと、そういうわけでもなく、相変わらずの日本の行政の硬直ぶりが……。

 

 また、年を重ねるうちに職場でうまく仕事をこなせなくなり、職を転々とし、人間不信になって人と関わることがいやになった人も。

 地道にこつこつ真面目に働いていればそれなりに報われたのは昔のことで、今はやたらとコミニュケーション能力とやらが過剰に求められる。

 そして、生産の現場より、サービス業的な職業が増えているのも事実。

 それに適応できない人、息切れしている人が多い気がする。Twitterでも蕎麦屋の求人で「一日中誰とも話さなくていい仕事」の文言で募集したら、たくさん応募があったというのを読んだばかりだ。

 

 車中生活で年金10万しかないので、家賃を払えないというお年寄りがいたが、他人事ではないよなあ。

 20代の頃、高級ホテルに勤めていたという80代の男性。当時の写真を大事に持っていて、その写真には胸をつかれた。モノクロの写真に写っているのは、凛々しく健康的な青年の姿で、決してはじめから人生をあきらめてしまった人ではなかったのだ。

 

 社会学者の宮台真司氏が「日本は共同体を維持することをきちんとやってこなかった、そのツケが回ってきた」というようなこを言っていたが、そんなことも思い出した。

 助けを求められず、孤立を深め、最終的に死に至ってしまうケースが、特に日本には多いような気がする。

 「世間体」みたいなものばかりが根強く残って、もう「共同体」なんか壊れてしまっている感じ。

 こういう国になってしまっていることを見つめつつ、そうは言っても、助けを求める「強さ」と、どこにどうアクセスすればいいか、考える力や情報力が必要なのだとあらためて思うのだが、そこまでたどり着けないから貧困なのだよなとも。

 NPOの人たちも、どうやって支援すべきか模索中らしい(声をかけても支援を断られることが多いそうで)。

 

 私も自分の生活を維持するのに精一杯で何もできないが、とにかく今の政権は酷いと思う(毎回、選挙には行っているのだけれど……)。

 政権が変われば何もかもよくなるとは決して思っていないが、消費増税をはじめ、教育にお金を使わない、力も入れない、イベント的なことばかり盛り上げようとする現政権の姿勢には激しく不信感、というより、怒りを抱いている。

 

  「普通」の生活をしていると、こういう生活を強いられている人たちの存在はなかなか目に入ってこないので、知ることができてよかったと思う。丁寧な取材を重ねたNHKならではの番組だと思うので、これからもがんばってほしい。

 

 

(今時の)バレンタインデー

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 六花亭のお菓子は美味しいし、パッケージも好きです。

 

 昨日はバレンタインだったけれど、新型コロナウィルスのせいか、世の中全体、浮かれた雰囲気は全然感じられなかった。

 新宿に通勤しているが、今までなら朝の新宿駅では大勢の中国人観光客にすれ違うのだが、日に日に少なくなっている。欧米系の観光客の方が多いくらいだ。

 

 さて私は、同じ職場できもののことを教えてくれる仲良しの人に、自分用に通販で購入した六花亭のバレンタインの詰め合わせからおすそ分け(今年から着付けを習い始めたのだ!)。

 そして、同じく仕事関連の方から、チョコレート風味のシュトレンをいただきーーちゃんと一切れずつ可愛く小分けされたものーーそのあと、打ち合わせに来た取引先の女性に「いただきものですが」と、一切れおすそ分けしたら、すごく喜ばれた。

 そのチョコレート風味のシュトレンを焼いた方はお店を構えているわけではないけれど、ほぼプロなので、お味は格別、甘さ控えめなスパイシーなチョコレート味で、中途半端な市販品よりよっぽど美味しい。

 隣の部署の女性たちは、あれこれチョコレートを持ち寄って交換して、楽しそうに食べていた(男性もひとりいたけど、一緒にわいわいという感じで)。

 

 と、今では女性→男性、ではなく、むしろ女性同士であれこれで行き交う感じになっていて、面白いなあと思う。

 だけど、若い女の子たちだと、「友チョコ」をめぐって、いろんな思惑が飛び交うらしく(友だちと思っていたら、先方は用意していなかっただの、互いのチョコレートのグレードが全然違っただとか)、それはそれで面倒というか、ご苦労なことよ、と思ってしまう。

 

 仕事の帰り、小ぶりの花束を紙袋に入れている男性がいて、見るともなく見ていたのだが、駅にある花屋さんに男性がたくさん群がっていて、おお!と思った。

 そうか、男性から女性に花を贈る、というのがようやく日本にも来たのか、と。

 

 私たちは、つれあいがお酒より甘いもの好きで楽しみにしているので、チョコレートを贈り、3月の「ホワイトデー」(というのも不思議なものがだ)には私がきっちりお菓子をもらう、という「日本型」バレンタインをやっている。

 

 ちなみに今の私の職場は、女性が男性にチョコレートを配る習慣は義理も何も一切なし、徹頭徹尾バレンタインとは無縁、というところで、大変心地よい(ほかはいろいろ大変なことあるが、この点だけはいい職場だなあとしみじみ思う)。

 禁止したというわけではなく、もとからそういう習慣が根付かなかったらしい。

 

 世の中の変化をいろいろと感じるバレンタインデーでした。

『ハードワーク 低賃金で働くということ』 そして十数年後の世界は?

 『ハードワーク 低賃金で働くということ』(ポリー・トインビー著/東洋経済新報

社/2005年7月初版、2020年現在絶版)を読んだ時の記事。前の前のブログで書いたもので、2005年12月11日付。なんと15年程前ということになる。

 著者が書き始めたのは2002年頃、労働党のブレア政権だったが、社会情勢はあまりよくなかったらしい(終わりの方にそのことが書いてある)。この後、労働党のブレア政権も2007年に終わりを迎え、再び保守党の政治へ。

 格差社会は一層進み、その辺りの庶民の生活の厳しさは、ケン・ローチ監督が映画として「わたしは、ダニエル・ブレイク」「家族を想うとき」などで描いている。

 なぜこんな古い記事を再掲するかというと、この本が日本でも出版された2005年当時、まだ日本ではそれほどあらわになっていなかった貧困問題が今はもう、当たり前のことになり、ここに書いてあることはほぼこの国のことにもなってしまったから。

 私自身、文末に「日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)」などと呑気なことを書いていたので、自戒というほどのことではないが、あらためていろいろ考えてみたいなと思ったのだ。

 「ご飯はおいしいし」とか書いているけれど、今では外食産業がブラックな労働に支えられている面が大きいと思うし、「地震はあるけれど」どころか、大震災が起きてしまって、地震の被害だけでなく、原発事故を巡って今まで積み重なっていたとてつもない大問題が露呈した。

 それから、これを書いた時は、仕事がまだ契約の身分で時間だけは今よりあり(引用部分はどこかからのコピペではなく、本から一字一句入力した!)、かつ、このまま頑張れば正規で働けるかもという、ちょっと先の見通しもできてきた時期だったので、余裕が多少あったのだ。

 そう思うと、本当に余裕がなく、自分自身が貧困に陥っている時は、その状況をなかなか冷静に判断できないのだな、とも。

 今は日本の貧困問題については、雨宮処凛さんなどが本や記事をたくさん書いているし、イギリスの社会問題については、実際にイギリスで保育士として仕事をした経験もあり、家族もいるブテレイディみかこさんの本などが詳しい。

 とりあえず、十数年前にちゃんとこんなルポが書かれていた……ということで、長いですが、よかったら読んでみてください。

   ここから

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 『ハードワーク 低賃金で働くということ』(ポリー・トインビー著/東洋経済新報

社/2005年7月)を読んだ。

  著者は、イギリスのガーディアン誌の女性ジャーナリスト、ポリー・トインビー。イギリスは、サッチャー政権以降、所得格差がますます広がり、固定化されたとのこと。もちろん、イギリスは昔から階級社会だったけれど、ワーキングクラスは結束力があり、組合などを通し、それなりの権利を勝ち取ってきた。

 でも、そういったワーキングクラスの力も弱まり、福祉も削減......させたのが、やはりサッチャーらしい。「サッチャー政権以来、英国は後ずさりしてきた」のだそうだ。失業と低賃金労働を往復する貧困層が実に3割を占める社会だそうで。

 そこで、ポリー・トインビーは、身分を偽り「40日間、時給4,1ポンド(約820円)の最低賃金で暮らす」という体験取材をする。その記録が本書だ。イギリスは想像以上に厳しい国だなあと感じる。イギリスのワーキングクラスは、映画などでもよく登場するが、トインビーが伝えてくれるのは、ワーキングクラスなりの成功や連帯からも外れた、本当に最低賃金の人々の苦しい実態。シングルマザー、病気で前の仕事をリストラされた人、移民......などである。長くなるが、いくつか引用してみる。

 

 恵まれた立場にいる人たちは何世代にもわたって、「実力本位」という言い訳に頼ってきた。貧しい家庭の子どもでも、賢ければ出世できる――これが本当なら、不平等な現実にも目をつむることができる。誰にもチャンスは平等にある、と信じ込むことができれば、恵まれた人たちも良心を傷めることなく、自分たちの暮らし方が正当化できた。しかし、この方便が通用しなくなってきた。なにしろ、中流階級へと続くはしごがはずされてしまったのだ。P13

 「実力本位」という理想が消えたために、すべてが変わってしまった。――ある種の肉体労働が「単純作業」でも、はしごの一段目にすぎいと思えば、低賃金でも当然と納得する気にもなる。しかし低賃金労働者がはしごを何段も上る例など、いまやほとんどないことが明らかになった。たまに一段上ることがあっても、すぐに滑り落ちてしまう。失業状態と低賃金のあいだを、不安定に往復するだけだ。まさに、社会的進歩が停止したといわざるをえない。P15

 たしかに最近は、身なりで懐具合を見わけるのがむずかしい。飛び抜けた金持ちや、飛び抜けて貧しい人はそれとなくわかることもあるが、衣料品の安売り店が普及したおかげで、低所得者もそれなりの服装が整えられる。毛布をかぶって道ばたに座るホームレスの人たちは、日常生活から明らかにはずれて突出しているので、いやでも目について心が乱される。しかし、けんめいに働いても貧しさから抜け出せない何百万もの人々は誰も目を止めない。社会的正義がおこなわれていないという事実は、こざっぱりした身なりに隠されているから、バスや地下鉄のなかで愕然とさせられることもめったにない。しかしじつは、毎朝職場へ急ぐ人の五人にひとりは時給六ポンド(1200円)以下、週にして240ポンド(4万8000円)以下しか稼げていない。これでは週刊誌に紹介されるようなレストランで食事をすることも、カリスマ美容師の店でヘアカットをしてメッシュを入れることもできないではないか。P15~16

 私たちは、孫子の世代に向かって、この状況を正当化することができるだろうか。人間は生まれつき、公平と不公平を見わける素朴な感性を持っていると思う。その感性に照らして、現在の状況は公平ではない。P20

 

 とにかく、社会が回っていくためには必要な労働――介護、清掃、給食調理――といった仕事が、ハードなのにことごとく低賃金なのだ。特に、老人介護は、それなりの技術を要するし、精神的負担も大きいのに、フルタイムで働いても、満足に生活できる月給は得られないらしい。これは、日本でも同じだ。企業買収に携わる人々が年収何千万も得る一方で、こういう仕事に就く人々がかくも不遇なのは、なぜなのだろう?
 「しょせん、恵まれた立場のジャーナリストの短期間のお気軽な体験取材」などと批判する人もいるみたいで、確かにそうかも知れないが、私は彼女の取り組みは立派だと思う。最低賃金の仕事を体験するだけでなく、本当にその賃金だけで生活し、その収入に見合った公営住宅で暮らしたのだ。
 マスコミなんて、不安を煽り立てる報道ばかりしがちで、自分たちがいる恵まれた立場からは動こうとしない人々がほとんどなんだから。それと比べたら、トインビーは偉い(日本にも、そういうジャーナリストは少数ながらいるけれど)。だから、彼女の本は実感がこもっている。そして、他者に対して感情移入し、共感できる感受性が素晴らしい。
 で、最低賃金で暮らしてみた結果は、どんなに頑張っても赤字だったそうだ。耐え切れなくなって、こっそり外食したりしたことも白状している。また、彼女にあてがわれたランベス地区の公営住宅のひどさも、ショックだった。イギリスって福祉国家じゃなかったのか、そうかサッチャーのせいでこんなに変わったのか......と。政府からは完全に見放され、管理されていないので、エレベータが止まっていたり、ゴミが散乱していたり、ヤクの売人の溜まり場になっている部屋があったり、強盗事件が多発......と、その荒みようは、日本人にはちょっと想像しがたいほど。そういう悪環境で生まれ育った子どもは、悪い仲間に取り込まれ、犯罪に走るケースも多くなるというのは必然かも知れない(それでも、本書の後半では、その公営住宅も改革の対象になりつつあるのがわかってくるが)。

 

――今回、私が経験した職場の仲間の多くは、時代遅れのヒエラルキーのせいで、能力以下の仕事を押しつけられていた。彼らを、病院なら病院の、全体像の一部に組み込むべきだろう。ピラミッドの最下層と見るのではなく、なめらかな全体を構成する煉瓦のひとつと見るのだ。P90

 

 と、病院のポーター(車椅子の人を案内したり、移動させたりする仕事)を経験した彼女は言う。これは、今の日本のフリーター、ニート問題にもあてはまることだと思う。

 

 スムーズに職を移るのは、本当にむずかしい。あいだに給料の入らない期間がはさまるからで、懐具合を心配せずに転職できる人はあまりいないと思う。P91

 

 これも本当に実感! 私も派遣をたびたび変わった経験があるので、身に沁みてわかる。条件が悪くても、貧しければ貧しいほど、そこから身動き取れなくなるという、悪循環に陥ってしまうのだ。

 そして、トインビーがいいのは、こんなふうに正直なところだ。

 

 少なくとも私には、シンプルライフにあこがれたり、節約の喜びに浸ったりする趣味はない。「消費拡大主義」(コンシューマリズム)以前の古き良き時代を懐かしんだこともない。昔からショッピング大好き人間だ。ただ、この喜びがもっと平等に享受されればいい、と思ってはいる(ブランド全盛に眉をひそめる人は、ブランド品などなにもない安い店で買い物をしてみるといい。聞いたこともない怪しげな包装の食品や洗剤を買うのは、不安なものだ)。外食したり、映画や芝居を観たり、自宅に友人を招いてパーティをするのも好きだ。ワイン、ドレス、休日。ときには外国の都市に飛んで、長い週末も楽しみたい。物質主義に侵された現代社会を嘆くこともない。人間は元来物質主義的な存在で、だからこそ動物と違って、進歩のために努力するのだと思っている。地球という星を損なう行為を懸念することをべつにすれば、快適な暮らしになんの文句もない。「土への郷愁」はまったくないし、富める暮らしより貧しい暮らしのほうが自然に近いとか、倫理的に優れていると思ったこともない。英国には昔から、高等教育を受けた人たちが貧しい暮らしにあこがれる風潮がある。持ち物が少なく、困難な選択に迫られることも少ない暮らしが一見「単純素朴」に思えるからだろう。私が低賃金労働の職場で出会った人たち(大半が女性)には、選択の余地がほとんどなかった。P95~96

 国には公共サービスの補助的作業を民間に委託して「効率」を買ったつもりかもしれないが――国としてはこんなひどい労働条件を押しつけるわけにはいかないが、民間企業なら大目に見られる。p124 

 

 イギリスは、そうやって民間へ、民間へと委託するようになり、民間は利益をあげるため、フルタイムで人を雇わず、短時間のシフトで多くの人を雇うようになった。そんな細切れ労働では皆、食べていけないので、2つも3つもかけもちをしている人が少なくない。早朝の清掃の仕事をして、昼間も働いて、夜また清掃......というような。特に、子どもの世話をしなければならない女性がそんな過酷な働き方を強いられているそうだ。
 日本もすでにその道を歩んでいるような気がする。

 

 懐に余裕がないため、あらゆる行動が制限された。飢えない程度に食べることはできたが、楽しみ抜き、アルコール抜きの食事は味気なかった。しゃれた店が視界から消えてはじめて、現代に生きるほとんどの人同様、私にとってもショッピングがどんなに重要だったか気づかされた。劇場や画廊、レストラン、ブティックなどが並ぶ、何度も通ったなじみの道が、私の地図から消え失せた。どこを歩き、どんな建物の前を通りすぎても、すべてが境界の向こうにある。ほかの人たちのもので、私のものではない。スターバックスのソファが私を誘ってくれることもないし、本屋やレストランはもちろん、街角の小さなカフェでさえ私にとっては存在しない。世間並みの楽しみを与えてくれるあらゆる場所に、「立ち入り禁止」の大看板がかかっているようなものだ。ほかのすべての人たちが生きている消費社会への「立ち入り禁止」。過酷なアパルトヘイトだ。客を呼び込んで、買って、買って、買ってと誘うために明るく照らされた入り口が、英国民の三分の一にとってはぴしゃりと閉ざされている。こうして排斥されてみると、都会の町並みは険悪な顔を見せる。同じショッピングでも、懐と相談しながら貧しい食料を買いそろえるのは楽しくないし、回を重ねるごとにつらさが増してくる。P300

 

 ここを読んだ時は、胸が痛くなった。そう、世の中すべてが貧しければ、まだ我慢もできるけれど、自分の目の前にはきらきらした消費の世界が広がっているのに、自分には無縁......というのは、本当に辛い。私自身、今はようやく安定した収入の仕事に就けたけれど、どん底も味わった。クリスマスの季節はデパートの前を通るのすら苦痛だった。自分だけ世の中からポツンと切り離されているみたいで、孤独な感じがした。食事や遊びに誘われても、断わざるを得なかった。何も身動きがとれなかった。
 と言っても、私の場合、自分自身の生き方の下手さ加減のせいもあったし、ある程度やりたいことをやった結果だとか、離婚したとか、運の悪さのせいにできる部分もある。
 でも、そうではなく、生まれた階級とか人種のせいでずっとずっとそういう生活だったら、どうだろうか? フランスの移民の若者の暴動は、きっとそういうことだ。今辛くても、希望があれば人間はなんとかやっていけるのだと思う。先の見通しが立たない、いつまでもこの悪い状況のまま、という、やるせない閉塞感が絶望を生むのだ。彼らが、ブルジョアの象徴である車に火を放った気持ちは、痛いほどわかる。日本も同じような道を進んでいるけれど、フリーターの若者たちはまだ親にパラサイトできる率が高いから、深刻さが見えてこない。でも、親の資産も無限ではない。尽きる時が来たら......。フランスやイギリスも深刻だけれど、日本の若者の諦めたような静けさも、何か不気味ではある。
 なお、トインビーによると、欧州の中では、やはり北欧諸国やオランダは所得格差が少なく、イギリスにあるようなもろもろの社会問題も比較的少なく、高い税率にも国民は納得し、成功しているらしいので、何かしら違うやり方があるはずだと言っている。ブレアもアメリカ寄りなのがけしからん、とのこと。結局、そういうことになるのか......。なんせ、アメリカは格差社会のうえ、イギリス以上に福祉も社会保障も貧弱だそうで。そう言えば、アメリカの医療ドラマ『ER』でも、「保険に入っていないから、病院にはかかれないの!」なんていうセリフがよくあったなあ。国民健康保険などなくて、自分で選択して民間の保険に入らないといけないのか? 弱者切り捨て、すべては自己責任ということなのか......。

 

 この本を読むと、アフタヌーンティーガーデニング、田舎でのスローライフという「光」の部分のイギリスのイメージは大きく覆される。社会の底辺で見えてくるイギリス社会の過酷な現実。若い頃、イギリスで暮らすのが夢だったけれど、今は思わない(ある程度のお金を持って、観光するのが一番だ)。

 日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)。まあ、日本もアキハバラ、ワンダフル!なだけの国でないのは当然で、どの国にも光と陰はある。とにかく、アメリカに追随すると、ロクなことにならないのは事実かも知れない。

残酷な神が支配する②――これはイアンの物語

 前回から引き続き書いた、第2弾の記事(2006年11月23日付け)です。

 今回、読み返して、自分が書いたものながら大きく変化した部分がある。

 下線部分のところ、これは13年以上前に書いた時の正直な気持ちであったが、今はまったくリンドン寄りなのだ。

 依存症などについても、カウセンラーなど専門家から、家族が保護し、過剰に助けようとすることが本人自らの更生を阻む、家族は自分の人生を生きるべき、というようなことが言われるようになり(つまり専門家の助けを求めなさいと)、この十数年でいろいろな認識が変化したことを感じる。

 というわけで、自分自身が書き残したものを読み返すと、自分の変化に気づくなあということを発見!

 

ここから、その転載記事です。

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11巻より


 『残酷な神が支配する』は、ジェルミを中心としているように見えて、実はイアンの物語でもあるのでは?ということを考えた。

 否応なく巻き込まれてゆき、イアンも自分自身と深く向き合わざるを得なくなるから。

 それはある程度わかっていたけれど、ジェルミを救おうとするイアン、という単純な図式で捉えていたのだけれど、実はジェルミの存在によって支えられている――というと、ちょっと語弊があるかもしれないが、イアンの方がジェルミを必要としていた、という捉え方もできるのではないだろうか?ということ。
 と思うと、ますますこの物語が深まってゆく……。

 

 保険調査官として登場し、たびたびイアンに親身になってアドバイスをするリンドン
「愛や同情は助けにはならない。愛していればいるほど苦しみは過剰になり倍になり、二人をおそう」
 という、まっとうな彼の言葉。

 そう、彼はしばしば、専門家に任せなさい、でないとあなた自身が潰れる、というようなことを忠告する。
 リンドンの言うことは、しごくまともで理解できるのだけれど、自分は冷静さに欠けるのか、私は読むのがつらかった。
 リンドンの言うことは極めて冷静で正しく現実的なのだが、でも、その先に何かあるのではないか、その先にあるものを見たい、と願ってしまうのだ。
 また、ジェルミの虐待シーンが惨いので読むのがつらいという側面もあるけれど、たぶん読み手に、根源的な問い――人は人を救えるのか、愛するということは何なのか――を突きつけてくるから、つらいのだと思う。
 
 ジェルミは、愛を拒絶する。
 その点も、読んでいてかなりつらいところだったことに気づく。
 いくら手を差し伸べても、振り払ってしまう。
 せめてジェルミが苦しみながらも、救いの手を求めている姿が見えれば、ほっとできたのだと思う。人は壊れてしまうと、愛を乞うこともできなくなるのか、というのがつらかったのだ。
 
 そして、『残酷な神が支配する』は、ジェルミの虐待を巡る苦難の物語であると同時に、イアンの内面への旅の物語でもあったのだ。

 現実は、たぶん、誰かひとりに救いを求めるというより、いろんな人との関わりのなかで少しずつ助けられていくものなんだろうと思う。
 私も、いろいろな人に、少しずつ助けられ救われて、今があるような気がする。
 一方、果たして、私自身は誰かの支えになっているのだろうか? 

 誰かを助けたことがあるだろうか? 

 傷つけられたことは覚えているけれど、誰かを傷つけ忘れてしまったこともたくさんあるのではないだろうか? 

 などと自分を振り返りると、なんとも心許ない。
 そんなことを思いつつ……『残酷な神が支配する』は、私の心に奥深く住み着いてしまったようだ。