九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

「着物沼」の入り口にいる私と、『着物憑き』 

 年明けから着物の着付けのお稽古に行き始めた。
 個人で教えてくれる先生を、職場の仲良しのSさんから教えてもらったのだ。Sさんは常々、骨董市などに出かけては古着の着物を探していて、楽しそうだなと思っていた。

 私も興味はあったのだが、どこからどう手をつけていいかわからず、なかなか足を踏み出せなかった。
 昨年末、大江戸骨董市に誘ってもらい一緒に行ってみて、それを機に私も古い着物に魅せられてしまった。その後、吉祥寺の古着(リユース)の着物屋さんで紬と帯を購入したのをきっかけに、いよいよ着付けを習ってみることにしたのだ。 
 Sさんによると、今、昭和のなかなかよい着物が中古市場にたくさん出ているのだとか。つまり、昭和に着物を着ていた世代がもう着ないからと不要になったり、あるいは亡くなったりで、各家庭の箪笥から大量に世の中に放たれているということらしい。
 で、それ以降の世代(私のような1960年代生まれ以降?)は個人で着物を所有している人がガクンと減るので、これからはあまり出てこないとも。
 というわけで、始めるならまさに今!と思った次第。幸い着物は、年を重ねても年齢相応に楽しめる。
 
 以前は着物に偏見というか、誤解があった。銀座のクラブのママさんであったり、成人式の派手な振袖に白いショールであったり。特に成人式の振袖は美しいと思えなかった(私は成人式でも親が早く亡くなっていたので、レンタルでも振袖は着ていない)。何しろお高いというのがあって、着物は自分とは縁のないものだった。
 でも大正時代を舞台にした映画やドラマなどで見る着物がとっても素敵で、だんだんそういうものだったらいいなあと思うようになった。でも友人に「アンティーク着物、昔の人は小さいからまずサイズが合わないんだよね。あと、生地も劣化してるし」と言われ、確かにそうだよなと思ったまま、時が経ち、無縁で過ごしてきた。
 ところが、今になってわかったのは、谷崎文学に出てくるような「着物」でなくても、昭和のものでも素敵なものは結構あるということ。中古だと、何しろ数千台で買えてしまうのだ。
 というわけで、詳しいことは何もわからないまま、着物の道に足を踏み入れたばかり。肌襦袢から長襦袢、腰紐、伊達締め……などなど、洋服の生活では想像もつかないあれこやこれやの小物が必要で、めまいがしたが、Sさんに逐一教えてもらってた。
 そして、習い始めて、やっと着物までいって、帯のお太鼓で挫折感を味わっているところ。
 また、サイズが合うと思って購入した紬も裄が短く、袖がつんつるてんなので、どうしたものかと。昭和の人は大正の人より大きくなったとはいえ、まだまだ今の人より小柄なのである。163㎝ちょっとの私だと、裄があともう3㎝から5㎝長ければ、という感じ。私もしっかり昭和の人なのだが、親世代はまだ150㎝台の人が多かったと思う。まさにその5㎝が難しい(メジャー持参で、がんばって探すしかない)。
 洋服なら、たいていどんなブランドでもお直し不要でOKだったので(ウエストが…というのはあるが、丈に関しては)嬉しかったが、着物は逆転、選択肢が狭まった。
 
 さて、そんなふうに着物というのは、何かこう一言では説明しがたい、人を魅了する何かがある。
 そんななか、ぴったりのタイミングで読むことができたのが 『着物憑き』(加門七海集英社)。

yomitai.jp
 加門七海さん自身、まさに着物に憑かれた人で、着物をめぐる怪異が何編かに分かれて書かれている。重々しい感じではなく、さらりとした筆致のエッセイ風。ご自身に実際に起きたことなのでは?と思わせるエピソードがたくさん詰まっている。

何もない状態から着物を着ようとすることは、一から登山用品を揃えて、富士山に挑もうとすることと、さして変わりのないことなのだ。ーー本文よりーー

 

 という一文を読んだ時は、なんと言い得て妙な!と思った。
 
 ある店で帯留に心奪われ、その作者の魂がその瞬間入ってきた話。
 古着の男物の久留米絣を入手したら、どうにも重く不穏な空気が纏わりついているので、ほどいて洗ったら、白髪が縫い込まれていたという話。
 美しい振袖を親戚が勝手に持っていってしまい、返してくれないので、一生振袖着てろと言ったら、その家の娘たちが誰も結婚できなかったという話。

 

一生振袖着てろというのは、一生独身でいろということだ。――略――これは着物の階段というより、言霊による呪詛かもしれない。いや、振袖が呪いの依代ならば、やはり着物の怪異となろうか。ーー本文よりーー

 

 着物は世代を超えて受け継がれるものだから、何か目に見えない物語というか、時の重なりが入り込んでような気がする。
 
 また「東と西」の章にある、京都出身の上村松園による、あでやかではんなりした『娘深雪』と、東京の鏑木清方『一葉女史の墓』に描かれている着物を比較したところも興味深い。著者は『一葉女史の墓』の少しくすんだ色合いの着物に魅かれるという。

 試しに、ネットで検索して2つの絵を比較してみたら、やはり私も『一葉女史の墓』の方が好みだった(でも、どちらも大変に美しい!)。

 ネットにあがっているものをいくつか読むと、怪談の味わいが薄く、着物を知らないとわからない、という感想もあったが、「着物沼」の入り口にいて、着物にまつわることが少しずつわかり始めている私にはとても面白かった。
 
 街を歩けば着物姿の方に目がいくし、大河を見ていても着物が気になるという感じで、世界が広がった。
 日本にこんな素敵な着物文化があるのに、このまま消えてしまうのはもったいないと思う。
 などと言ってる私だが、予算の関係で中古市場にしか貢献できず、肌着や小物を買うくらいで、呉服業界にはお金を落とせないのだが……。
 でも、着物ってこうしてリユースされ、ぐるぐる回っていくので、環境問題が言われている今、究極の「エコ」だなとも思う。

 

 まだよちよち歩きだが、友人と「着物お出かけ」するのを目指している日々。

 骨董市にもたくさん出かけたいので、新型コロナウィルスが収束することを願いつつ……当分、不安な時期は続きそうなので、家にいて本を読んだり、着物の着付けの復習をしているかな。

 でもまあ、平日は毎日、人口過密な新宿に出勤しているんですけどね。

 

袖がつんつるてんの紬。柄は気に入ったのだけれど。果たして、着付けでなんとか調整できるのか、どうか……。

f:id:kate_yuki:20200224203558j:plain