1月に更新してから、またまた空いてしまった。
春になったらコロナも少しは落ち着くかと思いきや、変異株やら何やらで、ますます困難になった状況のなか、突然、この春から藤井風に夢中になった。いや、恋に落ちたと言ってもいいかもしれない。
藤井風「HELP EVER HURT NEVER」アルバムジャケット
昨年くらいからJ-WAVEでやたらかかっていたし、特に朝の番組で別所哲也が曲をかけながら、よく「風~!」と叫んでいたので、まあ今、人気のアーティストか、J-WAVEで推してるのね、くらいにしか思わなかった。
ラジオはだいたい家事をしながら、朝なんかは特に支度をばたばたしながら聴いているので、そんなに音楽に集中できない。声的には秦基博とか、あの辺の感じかなあくらいの印象で(今、聴くと違うなと思うけど)。
ただ「青春病」という曲の”青春はどどめ色”という歌詞はひっかかりがあって、「夢をあきらめない」系の単純な歌い手ではないなと思っていた。
そのうち、藤井風の名前を度々聞くようなったので、はて、いったいどんな人?と思い、YouTubeで動画を見たら、確かにおっ!と思い、AppleMusicでダウンロードして、アルバムを聴いてみた。
「何なんw」「もうええわ」というタイトルも微妙だなあとか、「死ぬのがいいわ」なんて、昭和歌謡っぽいというか、若いのに(今、23歳)、変わった曲を作る人だなあという印象。
やがて、そういうひっかかり、違和感みたいな部分こそが鍵(魅力)なのだ、ということに徐々に気づき、気づいた時には、中毒のように毎日聴くようになっていた。
でもって、違和感が魅力になるような曲だけでないこともわかってきて、CDも購入。
例えばこの2曲は、とてもやさしくて柔らかい。
温もりに 触れたとき わたしは冷たくて
優しさに 触れたとき わたしは小さくて
「優しさ」より
ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
「帰ろう」より
20代前半でどうしてこういう詞が書けるのか、不思議な人だ。
子どものように無邪気に楽しげに、それでいて超絶技巧でピアノを弾き、精神年齢はやたら高いような......。
声も低音からファルセットに切り替わる時の自在さと、ぴかぴかの美声でなく、揺らぎのある感じなどがはまったポイントかもしれない。
とんでもない才能と魅力の持ち主であることは周知の事実なので、まあ、私がどうはまっていったかということはさておき。
藤井風くんは(急にくん付けになりますが)、中学生の頃からYouTubeにピアノ演奏の動画をあげていて、YouTubeの世界では結構有名だったみたいで。
10代から今に至るまでの軌跡が、YouTubeに残されているんですよねえ。
そこにあるコメントが面白くて、ファンはツイッターとかではなく(ツイッターを検索してもあまり出てこない)、彼が演奏した動画のコメント欄に直に書き込んでいたのですなあ。
音楽の才能はもとより、キャラクターが実に実にチャーミング。
未だに岡山弁で話しているし、デビュー後も、自室で収録した演奏をYouTubeでおしげもなく無料配信する。それも腹ばいになってキーボードに向かって、皆のアンコールに応えたり、髪ぼさぼさで「高校ジャージ」を着ていたり。
英語も堪能で、英語で話す時やピアノを弾いて歌う時と、日本語(主に岡山弁)で話す時(急に朴訥になる)とのギャップがたまらない。
それを狙ってやっているわけではなく、全部、風くんの「素」な感じ。
本当にピアノが好きで好きでたまらないんだろうな、という感じが伝わってくる。
男性に対してやたら「可愛い」を連発したり、「少年のような」という形容詞も使わないようにしているのだが、藤井風くんに対しだけは使うことを自分に許してしまう。
とにかく可愛いし、歌う時はワイルドで大人な雰囲気なのに、そうでない時はいきなり少年のようになる。
ちなみに、全身の佇まいも顔も長い指の大きな手も、存在そのものが魅了的。
小沢健二はかつて、トンガった岡崎京子のマンガからそのまんま抜け出てきたような印象だった記憶があるけれど、風くんはパキっとしたイケメンキャラではなく、自分のなかでは大島弓子のマンガに出てくるような、ちょっと、ふわっとした感じ。
生まれ育った環境が完璧に恵まれていなくても、天才は出てくる時には出てくるものだ......。
岡山で生まれ育ち、実家は喫茶店を経営、音楽好きなお父さんだそうですが、伯父さんが小澤征爾、というようなアカデミックな出自ではない。
それから、風という名前も本名だそうで、私はてっきり芸名と思っていたので、いろんな意味でもギフトを与えられた人、という感じ(まあ、名前は親からですけどね、それも含め)。
若くして出てきた才能ということで宇多田ヒカルなどを引き合いに出されることもあるが、私は矢野顕子的な才能に近いのではないかなあと感じている。
矢野顕子のドキュメンタリー映画は「ピアノが愛した女」というタイトルだったけれど、風くんもまさに「ピアノが愛した男」ではないかと思う。
神様からギフトを与えられた者が、人々に喜びを分け与えてくれている.......そんなふうに思える。
なにせアルバムデビューしたのが昨年、まさにコロナ禍のなか。
ちょっとこじつけっぽいけれど、彼が生まれたのは1997年。
1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件の2年後で、97年といえば、山一証券が倒産し、バブルも崩壊しきった年。
ずーっと日本が停滞したなかで生まれ、育った人が、こんなきらきらしたものを持っている。
そして、アルバムデビューしたのが、奇しくもコロナ禍まっただなかの昨年2020年。
そんな若い風くんが、私みたいな年長の人間(というか、親の年ですよ!)にも、美しい音楽のおすそ分けを与えてくれる。なんという奇跡なのだろうか。
こういう状況のなか、藤井風くんが存在してくれていて、ありがたい、尊いなあとしみじみ思う。
大げさな言葉は使いたくないけれど、「救済」にも近い感覚。
産んでいない息子を見守るような気持ち(笑)、それでいてドキドキするし、もう何だかよくわかりません。
好きなアーティストや役者さんはいろいろいるけれど、特に40代以降はあれこれ広く浅く好きな感じで、1人の人にのめりこむことがなかったので、「推し」という概念が今さらになってわかった気がする。
最近はあまりに好きすぎて、はじめは私があと30年元気に生きられたら、その間ずっと見届けられるなあ、なんて思っていたのだけれど、逆に、そうか、絶対に私の方が先にこの世からいなくなるのか(その方が幸せなのは百も承知で)、と気づき、悲しくなったりして。もう常軌を逸しています(苦笑)。
でもこれは、どうやら私だけの症状ではないらしく、YouTubeのコメント欄には「40代で既婚でよかった。自分が今若かったら、誰も好きになれなかったかも」みたいな声がたくさんある!
4月21日には武道館ライブ映像のBlu-rayも発売。
自分が行っていないライブ映像って、退屈することが多いのだけれど、これは別格。演奏も音のよさも映像も素晴らしい。さらにフォトブック2冊付きで、ライブ前のドキュメンタリーも収録(これがまた楽しい!)。
つれあいも、はじめはそんな若いアーティストを好きになるなんて「元気だねえ」なんて遠巻きにしている感じだったけれど、最近は一緒に風くんの才能に関心し、また私が元気で楽しくやっていることもいいことだと思ってくれているようです(笑)。
ジャズミュージシャンの菊地成孔氏は、「大恐慌へのラジオデイズ」(有料ブログマガジン/ビュロー菊地チャンネルのコンテンツ)という最高にクールで楽しい音声配信のなかで藤井風くんを評価してます(東大で音楽講義をしていた菊地氏も彼の演奏には驚嘆!)。
「方言を使用するカントリーガイ的な美学ででてきたのはよい」とか、「すごい才能はとんでもない非アカデミズムのなかからも出てくる。それが藤井風さん」とか。
「自分がピアノの弾き語りする男性ヴォーカリストでなくてよかったと思うほど......嫉妬じゃなくてね、若い才能が出てくるのは年寄りの喜びですよ」などとも。
「音楽に特化した高校に行った後は、コードの使い方がジャズになっている」とのこと。
特にマライア・キャリーのカバーがすごい、歌のメロディーとピアノのコード進行が違うそうで、こういうのができる人は少ないとか(コード進行とか、音楽的な詳しいことは私にはわからないけど、超絶テクニックなのはわかる)。
*関係ないけど、今いろいろ調べながら書いていて発見、藤井風くんも菊地成孔氏も6月14日生まれ! ちなみに風くん1997年生まれ、菊地氏1963年生まれ。ふたりとも、地方出身、実家は飲食店という共通項もあり。
この動画ですね。
検索すれば、ほかにも昔のカバーのは山のようにあれこれ出てくるし、最近のアルバムの公式PVも。
5月20日にはカバーアルバムが発売されるので、待ち遠しい!
HondaのCM曲「きらり」もよいです。
先に自分の方が死んでしまったその後、見届けることができない!と悲しむほど好きになれるアーティストがいて、幸せだなと思う。
本当に彼の手にかかると、音の一つひとつが喜んでいるかのよう。
これからどんどん注目され、騒がれるのではないかと思うけれど、このまま変わらないで、風くんのペースでのびのびと音楽を続けてほしい。
こんな時代のこの状況に、素晴らしい音楽を届けてくれて、風くん、ありがとう。