九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

藤井風 いつまでも風のように自由に

藤井風の記念すべき「何なんw」シングルデビュー2周年ということで、今年1月24日に撮影した1枚。

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これから風くんの節目、節目にキャンドル灯してお祝いしていそうな私。


さて、藤井風について、いろいろな人がその素晴らしさについて言葉を尽くして書いているから、私が書くまでもないと思いつつ、2ndアルバム発売前に自分なりにちょこっとまとめておこうかなと思います。
2021年の紅白出場から、さらにさらに話題の人だけれど、その直後に出た記事が印象的だった。

www.nikkansports.com

風くんと同じ岡山の里庄が故郷である記者。その記者の弟が、紅白で風くんが実家のミッチャッムで歌っていると思い、家を飛び出して行ったそうだ(なんと近所とのこと)。
その弟、47歳。そんな「大の大人の男」(とあえて言うけど)が、思わず家を飛び出す。
あるいは、別所哲也というキャリアのある俳優が自分のラジオ番組で藤井風をかけながら「風ち〜ん、かじぇ〜〜」と狂おしく叫ぶ。
こんなこと、かつてあっただろうか?
推しのアイドルやアーティストに黄色い歓声をあげるのは「おんな子ども」と思われがちだったと思うけど、藤井風は例外で、虜になった人たちは老若男女関わらず、皆ちょっとおかしくなってしまうようだ(もちろん自分も含め)。
先の記事では、風くんがデビュー前、地元でボランティア活動なども頻繁に行っていて、お年寄りを前に歌ったり、百貨店や夏祭りで歌ったりもしていたとのことで、そういう時に歌うのは、懐メロや演歌など。
聴いてくれる相手にちゃんと合わせて歌を選んでいるんですね。
そして、ある時、イベントを依頼したという記者の母親の元を訪ね、「来年になったら、お金をもらわんといけんようになりました(お金をもらわないといけなくなりました)」とデビューの報告をしに来たそうだ。
なんだか泣かせる話、というより、これはもう民話か何か?!と思った。
「ある小さな村に、それはそれは心やさしい若者がいました...」なんて語りたくなる。本人自らが語らないところに真実があるのかもと、しみじみしてしまった。
いい記事でした。読めてよかったです。
で、こんな記事も発見。

www.sanyonews.jp

倉敷で大きな水害があった際、こんなイベントにボランティア参加していたんだなあ。2018年なんて、ほんのついこの前のことだ。
YouTubeでの生配信や昨年9月の日産スタジアムでのフリーライブ、なんて気前よいのだ、いいの、こんな大盤振る舞い?と思っていたけれど、風くんにしたら、こういう地元での活動の延長線なのだと思い、あらためて胸が熱くなった。

風くんの言動が注目されがちだけれど、もちろん音楽性あってのこと。
松島耒仁子さんという音楽評論家の方が、彼の声やメロディーの特性について詳しく書いていて、なるほどと思った。「有名人勝手に声鑑定」なんていうのも、占いみたいだなと思いつつ、読んでみると、結構当てはまっている気がする!

vocal-review.com

 

菊地成孔氏も自身のブログ「ビュロー菊地チャンネル」(有料なので、登録して入会しないと視聴できないですが)で「何なんw」の楽曲分析を7回にわたって公開。
コード進行の詳しい分析で、私にはさっぱりわからなかったが、プロのジャズミュージシャンがそれくらいのボリュームで分析してしまうほどの緻密な構成であることだけはわかった。

ch.nicovideo.jp

 

そしてついに、3月23日発売の2nd album 「LOVE ALL SERVE ALL」 のジャケット写真も公表。

natalie.mu

 

 
 
 
 
 
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ふんわり春らしく、フレッシュなジャケット写真。硬質な雰囲気の1st「HEHN」の写真とは対照的だけれど、こちらも目を閉じているのは何か意味がある?
瞑想的な何か、内面を見つめることの象徴なのかな?なんて深読みしつつも、可愛すぎる……とも思っている私。
このデザインは想像できなかった。いつも意表をつかれます!
曲目も公表。楽しみにしていた「ラパン」(フランス語でウサギ)はどこかに逃げてしまったらしい......「ガーデン」あたりにひそんでいたら嬉しいのだけれど。
このブログも「九月ウサギの手帖」だしね。

そして、つい昨日アップされていたインスタグラムの写真。
部屋着のまま、もさっとした雰囲気で、食卓(こたつ?)の上の食事もよく見えないけれど、ウスターソースがどーんと目立つだけで、キラキラ感ゼロ。
紅白で「燃えよ」を歌っていた時の姿を思い出すと、別人では?! 実は5人きょうだいで、下の弟なのでは?なーんて思ってしまう(この写真に限らず、本当に印象がくるくる変わる。私は、デビュー曲の『何なんw』のMV時の風くんをいちばん大人っぽく感じている)。この拗ねたような顔、あざといなあ、自分が可愛いと思われるのわかってるでしょう(笑)。
ツアーTシャツの着画写真アップの時も、こんな感じの引き戸の前だったような。自室でくつろいでいるんだね。
盛り感ゼロの、この飾らなさ。音楽以外のことは無頓着なところがまた皆に愛されるんだね......。

と、昨夜まで思っていたのだけれど、一晩明けて、ロシアのウクライナへの軍事侵攻のニュースが続くなか、もしかすると、風くんはそのことに心を痛めていたのかな、なんて思ったりした。

だからこその、「meat-free dinner and peacefull time」(公式インスタグラムより)
普通にご飯を食べられる平和な時間の、幸せなこと。
当たり前のことが当たり前でなくなる世界が、今、あるということ(実はそれは今に始まったことではないのだが)。
私も食事をする時、温かい布団で眠る時、当たり前のことがどんなに貴重なことか、あらためて感じている。
思えば、1stの「HELP EVER HURT NEVER」というタイトルも、決して傷つけず、常に助ける......なんて、そして2ndの「LOVE ALL SERVE ALL」なんて、 とても無理だと思うけれど、だからこそ、それが願いであり、祈りのようなものであるのかも、と感じるようになった。


20代前半の若い人がなぜこのような境地に至れるのか、親子ほど年が離れている私にも謎なのだけれど、どの曲の歌詞からも、簡単には読み解けないような「陰り」を感じる。
思えば、あれだけ音楽の才能がありながら、音大にも進学せず、地元でコツコツひとりで音楽活動を続けていた時の気持ちはどんなだったのか。
ピアノもヴォーカルもいけるのだから、地元で仲間を募って「バンドやろうぜ」みたいなノリにはならなかったのか。
きっと多くの葛藤があったはず。

でも、そうして「我が道を行く」を貫いたことが今につながっている。
個人的な恋愛感情だとか、あるいはJ-POPにありがちな、いかにも受けそうな季節感(桜、雪、クリスマスなどなど)も盛り込まず、やや抽象的な概念をある種の陰りと深さをもって詞にしていることが普遍性を持つことになり、年代性別問わず多くの人の心をつかむことになったのではないかと思う。
とあれこれ書いても、風くんの魅力を伝えるきることはできないので、この辺で。


風くんがそれこそ風のように、自由に生きて音楽を創り続けることができますように。
ついでに、ツイッターやインスタグラムの認証マーク転がして遊びたい。ひも付けて超高速で回したい」(公式ツイッターより)みたいなことをずっと言っていられる風くんでありますように。
そして、自分が生きている間は、風くんの音楽とその魅力を享受する幸せが許されていますように......と願うばかりだ。

 

★2/27  22:30 追記
インスタグラムのストーリーに、風くんと若い女性の写真が。スタッフ? 
いやいや......ついに振り切った投稿??と思ったのも束の間、よく見たら小さく「sis」と。お姉ちゃん!
まあ風くんが幸せなら、パートナーが若い女性だろうと若くない女性だろうと、男性だろうと、誰もいなかろうと、何だって応援する気でいる(のだけれど、一瞬動揺したのは事実)。
で、ああ、あの昨夜の食卓の写真はお姉ちゃんたちとだったのね、と。
そう思うと、ますます単に拗ねた顔ではなく、やはりウクライナへ思いを馳せての表情だったのでは、と思うのでした。

二十歳の頃、振袖を着なかった私

着物のことを書いたのが2年前、着付けを習い始めてすぐにコロナ禍となり、中断したりしながら、昨年からなんとか着物で外出できるまでに進み、やっと着物二年生という感じ。


覚えてみると、何が何やら魑魅魍魎な世界だった帯結びも、これがこうなってこうなるのかと、理屈がわかると、そんなに怖いものではなかった。
それでも、素材の違い、長さの違い、その日の偶然性などに左右され、なかなか安定しない。それに15分でささっと着る、みたいなところには全然到達していない。
まあ仕方ない、日々、通勤している身としては、週末くらいしか着られないし、1か月以上あくと、ちょっとした手順を忘れてしまうし。

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セミアンティークの道行。まだ一度しか着ていない。
古いものは裄が足りないので難しいのだが、華やかな裏地に惹かれてつい購入。

 

着物を着るようになり、あらためて日本の文化や風俗に目が開かれたのが、何よりの収穫。
時代もののドラマや大河を見ていても、衣裳に目を凝らすし、今まで漠然と感じていた点と点が線につながっていくような感じがするのだ。
物干し竿、あれは着物だからこそのものだと思う(海外ではだいたい紐に吊るす)。
箪笥の引き出しの長さ、あれも使いづらいと思っていたが、着物を半分に折り畳んだ時にちょうどよい幅だ。
襖などの引き戸も着物の袖が引っかからないし。
着物のためにそうなったということではなく、家の造り、文化、風俗が一体となって自然とそういうふうにできあがってきたのだ。
子どもの頃(はるか彼方昭和の頃)、呉服屋さんだったか、クリーニング屋さんだったか「洗い張りします」という張り紙がよく貼ってあって、何を洗って張るのだろう?と、思っていたが、着物のことだったんだなあと。
あと「桐箪笥、直します」の張り紙や広告もよく見た(最近は見かけなくなった)。
桐箪笥なんて、そんなに必要なの?と思っていたが、湿気がこもりにくい桐の箪笥は着物にうってつけなので、最近になってやっとその謎が解けた。
桐箪笥、今、私はほしくてたまらない(置く場所がないので、可動式の小さい収納箪笥だけ)。
そんふうに昔の日本人は、箪笥も着物も直し直し、大事に使っていたのだ。

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昨年秋、東京都庭園美術館に行った時の着物。
キューガーデンの植物画展だったので、テーマは植物。
着物は笹の葉柄の
小紋、花の織模様のある帯に帯締めは草色。
鏡に映った姿を撮影したので、反転してます。
スマホでこうして撮ると、こんなパターンばかりなので、一眼レフに三脚とか要るかな......いや、そこまでしなくても、などなど思案中。

戦前戦後を舞台にした朝ドラなどで、ずっと着物を着ていた女性が初めて洋服を身にまとうシーンがあるが(特に『カーネーション』が着物と洋服の関係性が印象的だった)、その時の、違う世界に足を踏み入れた感覚、目が開かれる思い、そのわくわくとどきどき感は、私が着物をまとった時の想いに近いのではないかと思う。
わー、私、洋服着ちゃってる。それで外を歩いている!
それが1世紀ほど経って、
わー、私、着物着ちゃってる、それで外を歩いている!
になり、完全に逆になったわけで、そう思うと感慨深い。
同時に、着物がわざわざ手間暇かけて着るものになってしまい、身近なところから消えてしまい、職人さんもどんどん減っていくのは寂しい限りだが、その辺の話題は難しいので、今は触れないでおくことにする。というか、素人の私には一言では語れない。
幸い今は、リユースもので手軽な価格で入手できるし、成人式に振袖を着なかった私が(着なかった理由はこちらの記事に書きました)

       ↓       

kate-yuki.hatenablog.com

この年になって見つけた愉しみなので、いろいろ深めていきたい。あまり沼に入り込みすぎない程度に......そんなことを成人式の今日、思った。

「風」に吹かれまくる1年になりそうな予感

2022年、あけまして おめでとうございます。
昨年もほとんど更新できず、藤井風について2回も続けて書いたことだし、大晦日の紅白出場が衝撃的だったので、こうなったらもう、引き続き風くんについて書きます。

晦日の紅白出場が発表されたのは12月に入ってからだったと思う。
「きらり」を歌うということで、これはバックダンサーをしたがえて、はなやかにダンスを披露しちゃうのかな? 
里庄での地元での中継なんかも感動的だけど、NHKもそこまではしないだろう、別枠で別会場の中継でピアノ弾き語りの線が強いかな?なんて、さまざまに楽しく妄想していた。

さて昨日、大晦日当日。
いつも押せ押せで、遅い時間帯になってからお風呂に入ったりして、紅白は長年「ながら見」しかしていなかったのに、今年は早めに準備。
そして、藤井風いよいよ登場......まさかの岡山実家から。
YouTubeで見慣れたあの場所ーー親御さんがかつて営んでいた喫茶店ミッチャムーーで、何の演出もなく、膝に乗せたキーボードをカタカタさせながらの
「きらり」。
さすが、こういうはなやかな場でも、藤井風らしさを貫くのね〜と感慨にふけりながら見ていた。
終わったところで、スイッチを消しながらカメラに近づくあの感じもおなじみよねと思っていると、服の布地アップ....から、そのまま場面が切り替わり、東京の紅白の
会場にいる風くん!  えっ?!
ワープ、ではなく、ああ、岡山実家の演奏が録画だったのかと気づく。
会場にはピアノ、日産スタジアムでのフリーライブでよき相棒だった、
YAMAHAの「あの子」である。
風くんは袖口切っぱなしの、でもスタイリッシュな衣装に、緑のもふもふ
スリッパ(これはいったい何なん?!って感じだけど、もしかすると、日産スタジアムの芝生をイメージしてる??)。
「きらり」に続いて、2曲目「燃えよ」をピアノ弾きつつ演奏。
それだけでもう、胸がいっぱいというか、サプライズを贈ってもらい、幸せな思いに包まれていて、
これ以上もう望むものはなしと思っていたら、さらにさらに!
MISIAでのピアノ伴奏とコーラス。
今度は王子様っぽい、白い衣装で「白風」。
エンディング、MISIAさんの隣に立ったというだけなんだろうけれど、そのポジションが司会の大泉洋さんの真後ろで、ベテラン勢を横目に一番目立つところに立つ藤井風。「私たちの風が〜」と、なんか笑ってしまった。
直後にツイッターにアップしてくれた、花吹雪を髪につけたままの写真も可愛くて。

YouTube風の演出は、以前からのファンへの思いを込めてくれたのだなあ、なんて思っていたが、ある人の
ツイートで「実家の岡山からYouTubeの配信、NHKへの紅白への道のりがぎゅっと凝縮されていた」というのを読んで、そうか、そういう思いを込めた演出でもあったのかなあとしみじみ。
敏腕マネージャー河津氏やドキュメンタリーを制作したNHKのスタッフと、話し合いがもたれたのかなあとまたいろいろ妄想(藤井風は単なる新人として既存の形では出演させたくないんです、みたいな熱い話し合いがあったのでは?などなど)。

さて、興奮さめやらぬまま一晩明けると、携帯には公式アプリから通知が。
マネージャー河津氏の日記更新か?と思うと、なんと明日2日、YouTube生配信「ねそべり紅白」のお知らせ」
えええーっ、ほんとに?!こんなに与えてもらうばっかりでよいのだろうか??  よいの? よいの?
紅白出場は嬉しいけれど、遠くに行ってしまうようで寂しいような、なんていうファンのつぶやきが届いているのか(どうかはわからないけど)。
ファンとしては、彼が自由に音楽活動できることを第一に願い、見守ることが一番の恩返し(CDを購入したりという物理的ことはもちろんだが)なのだと思うことにした。だから、与えてくれるものは、素直に喜んで受け取ろう。


前回のブログで、藤井風を好きになると切なくなる、みたいなことを書いたけれど、この前、ライブ配信やらMVやらを続けて視聴していたら、ワクワクする高揚感と同時にゆるーり、ほんわかした幸せ感に包まれ、温泉に入っているみたいだなあと感じた。
なんというか、言い知れぬ多幸感。
好きすぎて切なくなるここもあるけれど、根本のところでは、聴く人をちょっとでもよい気分になってもらうために音楽をつくりたいといったことを語っている風くんなので、それはちゃんと伝わっているのだと思う。
容姿や言動だけでなく、音楽的な魅力についても語られるべきではと思っていたけれど、音楽の素晴らしさと同時に、人間的な魅力が炸裂しているので、それを言いたくなるのは仕方ない、というか、自分はもうそれでいいやと思うようになった。
(詳しい分析などは、音楽に詳しい人に任せる!)
人を酔わせる天才的な音楽的才能と(エンジェリックな容姿も!)、そして無垢な魂と......。
とはいえ、彼もまたもがき続けるひとりの人間でもあり、あまり神格化するのもほどほどにしないとと、自省的にすらなったりして。
というわけで、今年も「風」に吹かれまくる1年になりそうです。

 

*公式サイトで抽選販売された、ミッチャムメモリアル缶は外れたけれど(グッズまで外れるなんて、どんだけクジ運ないのだ、私)、シールやシングルアートワークコレクションは購入できました。
納品書のメッセージが泣けます。「直筆の印刷」ではあるけれど、捨てられない!

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藤井風を好きになると、なぜか切なくなる

前回書いた記事が4月の終わり、藤井風のことだったけれど、それから半年余。

ひとりのアーティストがどんどんと階段を上っていくのを夢中になって見守っているうちに、あっという間に半年以上経ってしまった。

その間に、永遠に続くかのように思えたコロナも、今は東京でさえ感染者が2桁ほど(夏は5,000人台までいったこともあったのに!)。

そんなコロナ渦が続いたなか(今も終わったわけではないが)、藤井風は新曲を発表し、次々MVも作り、日産スタジアムという巨大な会場で無観客のFree Liveを行い、大きく注目された。

www.youtube.com

直後にアリーナツアー発表。私自身も、友人が奇跡的に当ててくれたチケットで(チケットは当然抽選)、初日の横浜アリーナにてライブを初体験!

その後、  NHKのドキュメンタリー番組に出演、GooglePixel6のタイアップCMにも出演、タイアップ曲の「燃えよ」のMVも発表……風くんがTシャツとジーンズでいかにも青春っぽく走り出すようなイメージを浮かべていた私の凡庸な想像を裏切り、架空の南国の王様のような出で立ちで、思い切りふりきった演出とダンスで、ファンを驚かせた。
マネージャーの河津氏曰く「風族の王様のイメージ」だと。まさに!
こうして時系列で箇条書きにしているだけでも、すごいなあと思う(そうそう、MISIAへHigher Loveの楽曲提供なんていう大きなこともあったし)。

さて、私が体験した10月2日の横浜アリーナ初日。
アリーナ席15列目で、私の眼がもっとよければオペラグラスなしでも、風くんの表情がよく見えたかなという距離だったが、まずまずの席で嬉しかった。
オープニングは「風よ」で、おお、ライブにはサックスを入れたのね、と思っていたら、風くん本人が吹きながらステージに現れのだった! その驚きと感動。
風くん、ほんとに実在したよ、同じ空間にいるよ、あの声に包まれているよと、ライブ中、終始幸福な思いに包まれた。
バックダンサー交えての「きらり」のダンス、終盤の「旅路」の時の一面の星空のような演出の美しさ......全体を通しては、凝った演出というよりストレートに歌を楽しむためのライブという構成で、あっという間の2時間弱だった。
風くんの「いいことにも悪いことにも執着しないように生きている」という言葉を胸に刻みつつ、会場の外へ出ると、びっくりするような豪雨。
立ち止まらないでください、という会場のアナウンスもあり、日傘を雨傘代わりにして、友人とふたり走り出した。
この日、昼間は真夏のような暑さで、日傘をさして行ったのだ。
でも傘なんか何の役に立たず、屋根のある通路に出るわずかな間にびしょ濡れ……それも今となっては、あの日のライブを強く印象づける、よい思い出になっている。
さらに、10月2日はまだ緊急事態宣言中で、お店も早々に閉まってしまい、グッズ販売の列に並んだ4時前から、自動販売機のコーヒー以外何も口にしていなかったのだが、どこにも行くところがなかった。
でも友人と私は帰り難く、スターバックスでかろうじて買えたエスプレッソのグラニータ片手に、駅の改札口でまるで中学生みたいに30分も立ち話をしたのだった。

そして、11月28日は東京の代々木体育館でアリーナファイナルツアー。
ライブ配信があるというので、視聴チケットを入手した。
PCのヴァージョンが足りず(新調するのを先送りにしていたら、古すぎてヴァージョンアップできず:涙)、iPhoneの小さい画面でちっさい風くんを見つめつつ、音だけBluetoothBOSEのプレーヤーに飛ばしてという、やや不本意な環境だったけど......よかったです(操作の不手際か、回線のせいか、2度ほど落ちた:涙)。
構成は横浜アリーナの時と同じだったけれど、変化したところもあった。
MCがちょっと長くなっていたのと、「次の曲はワシも皆も好きな、きらり」と、きらりのところをアニメ声みたいな高い声で言ったりして。
横浜アリーナではアンコールはなく、思えば発表した曲は全部歌ってるし、コロナだしねと、納得したのだが、さすがにファイナルでは、風くんもいろいろ感慨深かったのか、ほかのバンドメンバーが去ってもひとり残り、右に左に移動して客席に向かって深々とおじきして、皆に向かっても拍手。
そして、ピアノを弾き、「燃えよ」の一節を歌って鮮やかに去っていったのが印象的だった。横浜アリーナから、成長したように映った(成長なんて、偉そうに言ってしまうけど)。
鳴り止まない拍手に「そんな、皆、手いたなるから、もうだいじょうぶやで」なんて言うアーテイスト、今までいただろうか。

あと、「へでもねーよ」のイントロでは尺八奏者による尺八の演奏が入り(横浜ではなし)、途中、配信の画面ではフクロウが飛んで行くという、嬉しいサプライズ演出もあった。


そんなわけで、Free Liveから3か月間、「風祭り」みたいな状態だった。
今はそれも終わり、年の瀬も近づき、何やら喪失感が......。
そうやってどんどんメジャーになって人気者になっていくのに、SNSでは飾り気のない言葉を発信し、ぽよんとした素の顔の写真がアップされているので(ほんとにどういう自意識なのか不思議なくらい、飾らない人)、やられてしまう人が増えていくのだろうなあと思う。

ツイッター上のファンの言葉をひろい、ブログなどを読んでいると、あるひとつの現象というか、特徴に気づいた。
楽しい、大好きの気持ちと同時に、切ないという独特の感情を持つ人がとても多いのだ。
このひとりの青年に心奪われている人が大勢いて、その感情移入の様子が尋常でない(笑)。それも、女性だけでなく、男性も。

 

恋人にするなら女性しか考えられない自分なのに(それは勘違いじゃないはず)万が一、風っちが恋人になってくれるとするなら(ああ、ここまで言ってしまうか)それで一生を風っちに捧げても悔いなし…な気さえする。もう何なんw。
これはいったい何が起きている? 

「藤井風を語る真夜中」より("風愛"に満ちたブログで、私も愛読してます)

kiyohisa0919.hatenablog.com

まさに「何なんw」、何が起きているのか?って感じですよ。
一番近い感情は、やっぱり「恋」なのだろうなあ。
皆、藤井風に、恋に落ちてしまっているのだ。
一緒にいると嬉しくて楽しいからこそ、離れた時が寂しい。
一緒にいても、離れることを考えると切なくなる、みたいな......。
好きなら好きなだけ寂しくなるような感じ。
私は、彼の素のキャラクターの可愛らしさ(言動がスキだらけなところ)に「恋」のようなものを感じ、音楽には深くて大きな「愛」を与えてもらっている......そんな気がするのだ。
何を言っているのか、もはや自分でもよくわからなくなってきた。
うーむ、無理に言葉にしなくてもよいのだろうけれど、的確な言い方はまだ探せず。
オリジナル曲はわかりやすい、いわゆる「ラブソング」がなく、やや抽象的だったり、内省的なものが多い。一方、カバー曲ではラブソングが多いのだが、そのことに意味はあるのか、インタビューでもしたいぐらいだ。

それから、思うのは、藤井風という人はまだとても若く、多くの人生経験を積んでいなくても、何か物事の本質をつかんでしまっている人なのだな、とも思う。

さらに、既存のメディアに頼らず、自分たち(風くんとマネージャーはじめ、スタッフ側)から発信し、自由に活動している様子などもとても新鮮に魅力的に感じられる。
その鍵を握っているのがマネージャーの河津氏。
風くんとは親子くらいに年齢差があるのに、横に並んでも遜色ないくらいのイケメン! 前に出てきてもうるさくないどころか、ファンに愛されている、なかなかに稀有な人なのだ。

とはいえ、何はさておき、やはりこれだけ人々を魅了するのは彼の音楽に力があるから。
ジャズミュージャンの菊地成孔氏は自身のブログマガジン「ビュロー菊地チャンネル」(有料)で、度々藤井風について言及しているが、最近ついに「何なんw」の楽曲解説をアップした。
「本人の言動がいろいろ注目されているけれど、楽曲自体も素晴らしい」と菊地氏。
私は楽器でもできないし、コード進行などは全然わからないのだけれど、かなり複雑な構成になっていることが何となくわかった。
普通なら繰り返しにするフレーズに、ちょっと変則的な音が入ったりして、ジャズ的なアプローチになっているのだそうで。
それも、風くん本人が緻密に分析的に構築しているというよりは、それまでの音楽の蓄積と、感性と勢いで作れてしまうらしい(もっと専門的な言い方だったけれど、私はそんなふうに解釈)。
その辺が、きっと飽きのこないところなのだろう(私は半年以上、ほぼ毎日聴いてる)。
デビューした当時、菊地氏の音楽業界の知人は、風くんのことを「アンファンテリブル」(恐るべき子ども)、「バケモノ!」(←褒め言葉)と話していたそうだ。

さて、前回のブログでは、「年齢的にきっと自分の方先にが死んでしまうので、風くんの活動を長く見届けることができない」みたいなことを書いてしまったが、それこそ執着の最たるものだなあ。でもって、その執着を作っているのは風くんのせいだよ、なんて思わないわけでもないが!
風くんが生まれた1997年、私はすでに十分大人だったわけだが、それから20数年後に、こんな素晴らしい出会いが用意されていたなんて、まさに奇跡。
自分のなかで、最近では時代を考える時、藤井風が生まれる前、生まれた後、みたいな感覚になっていて、もはやBC=before Christみたいな扱い(笑)。

だらだらと長くなってしまったけれど、風くんに限らず、ほかの人たちとの出会いもきっと奇跡なのだ。どんな素晴らしい出会いがあるのか、世界は未知。
そして、実在の人たちだけでなく、物語や映画のなかの人たちの出会いもあるし、音楽との出会いもあるし、人生はそう捨てたものではないのかも。
と、この年代になって、あらためて思う。
とりあえず、元気に生きて、次のライブも申し込みします。抽選、当たりますように!
チケット入手がこれだけ厳しいと、生きているうちに何回体験できるかわからないしね(と、結局、執着は抜けませんって)。

 

🌟「燃えよ」のツアーTシャツ。ツアーグッズを並んで買うなんて何年、いや、何十年ぶり? ステッカーとちょっとおふさげの付箋ががほしくて並んだのだけれど、1時間半も並んだら、そりゃTシャツも買っちゃう。しかしLサイズしか残っていなくて、身長163㎝で腕がわりと長い方の私でもすんごく大きい。つれあいが風くんとほぼ同じ180㎝なので、試しに着てもらったらLサイズがぴったり。ツイッターにTシャツ大きい! 178㎝細身の息子に着せたらぴったりだった、風くんが自分の私服を増やすために作っているのではw、なんていうのがあったけれど、まさに。
Lサイズの燃えよTは、いったい、いつ着ればよいのか?!
*180㎝のつれあいを見るたびに、風くんもこれくらいの感じの高さかあ、なんてしみじみ見たり、実際に言ったりしているわけですが、うるさがらないつれあいに感謝です(笑)。

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🌞10月2日の横浜アリーナの日、とにかく暑かった。なのに私は春秋もののミナ ペルホネンのスカートに、長袖のブラウスだったので、余計暑かった。なぜこのスカートにしたかというと、モスグリーン地にピンクで、HEHNツアーのイメージポスターと似た色合いだったから(誰にもわからなかったに違いない)。「ただそれだけで」した。

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「風」に吹かれて、寝ても醒めても藤井風

1月に更新してから、またまた空いてしまった。

春になったらコロナも少しは落ち着くかと思いきや、変異株やら何やらで、ますます困難になった状況のなか、突然、この春から藤井風に夢中になった。いや、恋に落ちたと言ってもいいかもしれない。

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藤井風「HELP EVER HURT NEVER」アルバムジャケット

 

昨年くらいからJ-WAVEでやたらかかっていたし、特に朝の番組で別所哲也が曲をかけながら、よく「風~!」と叫んでいたので、まあ今、人気のアーティストか、J-WAVEで推してるのね、くらいにしか思わなかった。


ラジオはだいたい家事をしながら、朝なんかは特に支度をばたばたしながら聴いているので、そんなに音楽に集中できない。声的には秦基博とか、あの辺の感じかなあくらいの印象で(今、聴くと違うなと思うけど)。

ただ「青春病」という曲の”青春はどどめ色”という歌詞はひっかかりがあって、「夢をあきらめない」系の単純な歌い手ではないなと思っていた。


そのうち、藤井風の名前を度々聞くようなったので、はて、いったいどんな人?と思い、YouTubeで動画を見たら、確かにおっ!と思い、AppleMusicでダウンロードして、アルバムを聴いてみた。


「何なんw」「もうええわ」というタイトルも微妙だなあとか、「死ぬのがいいわ」なんて、昭和歌謡っぽいというか、若いのに(今、23歳)、変わった曲を作る人だなあという印象。

やがて、そういうひっかかり、違和感みたいな部分こそが鍵(魅力)なのだ、ということに徐々に気づき、気づいた時には、中毒のように毎日聴くようになっていた。

でもって、違和感が魅力になるような曲だけでないこともわかってきて、CDも購入。

例えばこの2曲は、とてもやさしくて柔らかい。

 

 温もりに 触れたとき わたしは冷たくて

 優しさに 触れたとき わたしは小さくて

 「優しさ」より

 

 ああ 全て与えて帰ろう

 ああ 何も持たずに帰ろう

 与えられるものこそ 与えられたもの

 「帰ろう」より

 

20代前半でどうしてこういう詞が書けるのか、不思議な人だ。

子どものように無邪気に楽しげに、それでいて超絶技巧でピアノを弾き、精神年齢はやたら高いような......。
声も低音からファルセットに切り替わる時の自在さと、ぴかぴかの美声でなく、揺らぎのある感じなどがはまったポイントかもしれない。


とんでもない才能と魅力の持ち主であることは周知の事実なので、まあ、私がどうはまっていったかということはさておき。

藤井風くんは(急にくん付けになりますが)、中学生の頃からYouTubeにピアノ演奏の動画をあげていて、YouTubeの世界では結構有名だったみたいで。
10代から今に至るまでの軌跡が、YouTube残されているんですよねえ。
そこにあるコメントが面白くて、ファンはツイッターとかではなく(ツイッターを検索してもあまり出てこない)、彼が演奏した動画のコメント欄に直に書き込んでいたのですなあ。

音楽の才能はもとより、キャラクターが実に実にチャーミング。
未だに岡山弁で話しているし、デビュー後も、自室で収録した演奏をYouTubeでおしげもなく無料配信する。それも腹ばいになってキーボードに向かって、皆のアンコールに応えたり、髪ぼさぼさで「高校ジャージ」を着ていたり。
英語も堪能で、英語で話す時やピアノを弾いて歌う時と、日本語(主に岡山弁)で話す時(急に朴訥になる)とのギャップがたまらない。
それを狙ってやっているわけではなく、全部、風くんの「素」な感じ。
本当にピアノが好きで好きでたまらないんだろうな、という感じが伝わってくる。
男性に対してやたら「可愛い」を連発したり、「少年のような」という形容詞も使わないようにしているのだが、藤井風くんに対しだけは使うことを自分に許してしまう。
とにかく可愛いし、歌う時はワイルドで大人な雰囲気なのに、そうでない時はいきなり少年のようになる。
ちなみに、全身の佇まいも顔も長い指の大きな手も、存在そのものが魅了的。

 

小沢健二はかつて、トンガった岡崎京子のマンガからそのまんま抜け出てきたような印象だった記憶があるけれど、風くんはパキっとしたイケメンキャラではなく、自分のなかでは大島弓子のマンガに出てくるような、ちょっと、ふわっとした感じ。


生まれ育った環境が完璧に恵まれていなくても、天才は出てくる時には出てくるものだ......。
岡山で生まれ育ち、実家は喫茶店を経営、音楽好きなお父さんだそうですが、伯父さんが小澤征爾、というようなアカデミックな出自ではない。
それから、風という名前も本名だそうで、私はてっきり芸名と思っていたので、いろんな意味でもギフトを与えられた人、という感じ(まあ、名前は親からですけどね、それも含め)。

若くして出てきた才能ということで宇多田ヒカルなどを引き合いに出されることもあるが、私は矢野顕子的な才能に近いのではないかなあと感じている。
矢野顕子ドキュメンタリー映画は「ピアノが愛した女」というタイトルだったけれど、風くんもまさに「ピアノが愛した男」ではないかと思う。

 

神様からギフトを与えられた者が、人々に喜びを分け与えてくれている.......そんなふうに思える。
なにせアルバムデビューしたのが昨年、まさにコロナ禍のなか。
ちょっとこじつけっぽいけれど、彼が生まれたのは1997年。
1995年の阪神淡路大震災オウム真理教地下鉄サリン事件の2年後で、97年といえば、山一証券が倒産し、バブルも崩壊しきった年。
ずーっと日本が停滞したなかで生まれ、育った人が、こんなきらきらしたものを持っている。
そして、アルバムデビューしたのが、奇しくもコロナ禍まっただなかの昨年2020年。
そんな若い風くんが、私みたいな年長の人間(というか、親の年ですよ!)にも、美しい音楽のおすそ分けを与えてくれる。なんという奇跡なのだろうか。
こういう状況のなか、藤井風くんが存在してくれていて、ありがたい、尊いなあとしみじみ思う。
大げさな言葉は使いたくないけれど、「救済」にも近い感覚。
産んでいない息子を見守るような気持ち(笑)、それでいてドキドキするし、もう何だかよくわかりません。
好きなアーティストや役者さんはいろいろいるけれど、特に40代以降はあれこれ広く浅く好きな感じで、1人の人にのめりこむことがなかったので、「推し」という概念が今さらになってわかった気がする。

 

最近はあまりに好きすぎて、はじめは私があと30年元気に生きられたら、その間ずっと見届けられるなあ、なんて思っていたのだけれど、逆に、そうか、絶対に私の方が先にこの世からいなくなるのか(その方が幸せなのは百も承知で)、と気づき、悲しくなったりして。もう常軌を逸しています(苦笑)。

でもこれは、どうやら私だけの症状ではないらしく、YouTubeのコメント欄には「40代で既婚でよかった。自分が今若かったら、誰も好きになれなかったかも」みたいな声がたくさんある!

 

4月21日には武道館ライブ映像のBlu-rayも発売。

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自分が行っていないライブ映像って、退屈することが多いのだけれど、これは別格。演奏も音のよさも映像も素晴らしい。さらにフォトブック2冊付きで、ライブ前のドキュメンタリーも収録(これがまた楽しい!)。

 

つれあいも、はじめはそんな若いアーティストを好きになるなんて「元気だねえ」なんて遠巻きにしている感じだったけれど、最近は一緒に風くんの才能に関心し、また私が元気で楽しくやっていることもいいことだと思ってくれているようです(笑)。

 

ジャズミュージシャンの菊地成孔氏は、「大恐慌へのラジオデイズ」(有料ブログマガジン/ビュロー菊地チャンネルのコンテンツ)という最高にクールで楽しい音声配信のなかで藤井風くんを評価してます(東大で音楽講義をしていた菊地氏も彼の演奏には驚嘆!)。
「方言を使用するカントリーガイ的な美学ででてきたのはよい」とか、「すごい才能はとんでもない非アカデミズムのなかからも出てくる。それが藤井風さん」とか。
「自分がピアノの弾き語りする男性ヴォーカリストでなくてよかったと思うほど......嫉妬じゃなくてね、若い才能が出てくるのは年寄りの喜びですよ」などとも。
「音楽に特化した高校に行った後は、コードの使い方がジャズになっている」とのこと。

特にマライア・キャリーのカバーがすごい、歌のメロディーとピアノのコード進行が違うそうで、こういうのができる人は少ないとか(コード進行とか、音楽的な詳しいことは私にはわからないけど、超絶テクニックなのはわかる)。

 

*関係ないけど、今いろいろ調べながら書いていて発見、藤井風くんも菊地成孔氏も6月14日生まれ! ちなみに風くん1997年生まれ、菊地氏1963年生まれ。ふたりとも、地方出身、実家は飲食店という共通項もあり。

 

この動画ですね。

www.youtube.com

検索すれば、ほかにも昔のカバーのは山のようにあれこれ出てくるし、最近のアルバムの公式PVも。
5月20日にはカバーアルバムが発売されるので、待ち遠しい!

 

HondaのCM曲「きらり」もよいです。

www.honda.co.jp

 

先に自分の方が死んでしまったその後、見届けることができない!と悲しむほど好きになれるアーティストがいて、幸せだなと思う。
本当に彼の手にかかると、音の一つひとつが喜んでいるかのよう。
これからどんどん注目され、騒がれるのではないかと思うけれど、このまま変わらないで、風くんのペースでのびのびと音楽を続けてほしい。

 

こんな時代のこの状況に、素晴らしい音楽を届けてくれて、風くん、ありがとう。

 

2021年、『ベニスに死す』に出会い直す

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 昨年、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」を観直した。

 昨年5月にこの記事のなかで『秘密の花園』とともに触れたのたが......。

kate-yuki.hatenablog.com

 今回はこの作品だけに絞って、詳しく書こうと思う。

 大昔、10代後半か20代はじめの頃に観た時は、美少年タジオ役のビョルン・アンドレセンばかりが記憶に残り、彼に魅了され恋い焦がれ、追い求めた老いた男性が、最後、白塗りの化粧をしてどろどろになって海辺で死んでしまう……その老いた男性、アシェンバッハの心理には付いていけず、美しいが、変な映画だなあと長年思っていたのだ。

 しかし、最近、アシェンバッバは最後、コレラで死んでいることをあらためて知り、そうだったのか!と、以前録画しておいたものを再び観ることにしたのだ。

 で、結論から言うと、今さら言うまでもないことなのだが、これはとんでもない傑作と驚嘆したのであった。

 というわけで、これを機にトーマス・マンの原作『ベニスに死す』(圓子修平訳/集英社文庫/以下、引用部分は本書から)も初めて読んでみた。

 映画では高名な音楽家の設定だが、原作では作家。地位も名誉もあるが、権威主義的な、古い感じの作家。彼がヴェネツィアに旅立つまでの描写は結構長く、なかなかタジオは現れない。そして読みづらい。こんな感じなのです。

 

プロイセンのフリードリヒ大王の生涯の明晰で雄勁な散文叙事詩の作者、ある理念の翳のなかで、大勢の人物が登場する、夥しい数の運命が集められた『マーヤ』という名の長篇小説の絨毯を長年にわたる勤勉によって織り上げた、忍耐強い芸術家、感謝する一世代の青年たちに、もっとも深い認識の彼方になる道徳的決断の可能性をしめした『ある哀れな男」という表題のあの力強い短篇小説の作者、最後に(これで彼の円熟期の作品を簡単に表示したことになるが)その秩序づける能力と反立(アンチテーゼ)の雄弁によって真面目な批評家をして、シラーの『素朴文学と感傷文学』に比肩しうるものと言わしめた、「精神と芸術」に関する情熱的な論文の著者、つまりグスタフ・アシェンバッバは、シュレージエン州の郡役所所在地であるLに身分の高い司法官の息子として生れた。P16

 

 一読しても、意味がわからず、訳が固いのかな?などとと思いながらも、読み進めていくと、いよいよヴェネツィアに到着した辺りから、俄然読みやすくなってくる(訳のせいではなかった)。

 映画では、小説の冒頭にあたる部分は回想で描かれ、旅のところから始まるが、マーラー交響曲第5番で始まる有名な冒頭のシーンは、映画史上に残る名シーンで、例えようもないほど美しい。すでに結末を知っているからかもしれないが、アシェンバッバは死への世界へ旅立っていくかのような気配が濃厚である。

 さて、イタリアに着いたアシェンバッバは慇懃無礼というか、地元で働く人々を見下している感じが随所に。イタリアに憧れはあるが、ラテンな人々に対してどこか小馬鹿にして、いつも不機嫌である。

 それが、ホテルでタジオを発見してからというもの、がらりと変わり、突然世界が色彩を帯びたようになる。原作の小説でも、そこからのシーンは俄然、文体が生き生きとしてくる。

 

蒼白く優雅にうちとけない顔は蜂蜜色の髪にとりかこまれ、鼻は額からまっすぐに通り、口元は愛らしく、やさしい神々しい真面目さがあって、ギリシア芸術最盛期の彫刻作品を思わせたし、しかも形式の完璧にもかかわらず、そこには強く個性的な魅力もあって、アシェンバッバは自然の世界にも芸術の世界にもこれほど成功した作品は見たことがないと思ったほであった。 P46-47

 

 という描写が延々と延々と続き、ひとりの少年の美しさに対してこんなにも言葉を費やせることに驚く。まだまだ続く。

 

ゆるやかな袖が下へ行くに従って狭くなって、まだ子供子供したほそい手首にぴったりとついているイギリスふうの水兵服は、その紐やネクタイや刺繍などのせいでこの少年の繊細な姿になにか豊かで豪奢な趣を添えている。P47-48

 

  読んでいくと、衣裳ひとつ取ってもヴィスコンティの映画はかなりマンの小説に忠実であることがわかる。

 

少年らしく優しく引き締った、生き生きとしたその身体つき、捲毛から水をしたたらせて、空と海の深みから立ち現れた優雅な神のように美しく、水を出、水から逃れてきたその光景を見ていると、神々の世界のこどもが思い出された。少年の姿は原初の時代、形式の根源と神々の誕生を物語る詩人の言葉のようであった。P60

 

 「神々の世界のこども」! 

  賛美の嵐なのだが、映画を観ると、その形容詞にタジオがちゃんと相応しい少年になっていることにまたあらためて驚く。ヴィスコンティアンドレセンを発見した時、心のなかで狂喜乱舞したのでしょうねえ。

 

 そして、アシェンバッバはタジオの美しさに酔いしれて、ストーカーのように彼を追い回しているうちに、ひたひたとコレラが迫る。
 観光客を失いたくない地元の人々はひた隠すのだが、だんだんと人がいなくなるヴェネツィアは美しくも禍々しい空気を帯びていくのだ。

 

 アシェンバッハは直接タジオに話しかけることもしない。だからむろん、触れることもしない。しかし、タジオは何かに気づいており、挑発的な視線を投げかけ、彼の前をゆっくり通り過ぎる。

 なんともスリリングなのである。彼が同性愛者なのか、そうではなくただ単に美しい彼を見たいだけなのか、説明はされない。

 

 実はこの作品は、トーマス・マンが1911年にイタリア旅行をした実体験がもとになっている。現実ではコレラ蔓延の危険に気づき、ドイツに引き上げ、それでこの小説が書かれたわけだ。当時、彼がいかにその美少年(実在したポーランドの貴族)に夢中だったかを、妻が語っていたらしい。

 小説では、そこで健全に帰国しては話にならないので、アシェンバッハをヴェネツィアに留めたわけだが、そうあったかもしれないもうひとつの世界の作者の姿だったのかもしれない。

 

 久々に「文学」を読んだという感慨ひとしお。健全さとは遠い何か。でも退廃だけでもない何か。管理されて健康に生きるだけの世界になってしまいそうな今の世界と比べると、『ベニスに死す』の世界はなんと自由で深いことか。そして残酷でもある。

 

 また、ヴィスコンティの映画であらためて驚くのは、そのスケールの大きさと贅沢さ、豊かさ。

 例えば、ホテルのロビーやレストランのシーンなどでも、話とは関係ない宿泊客を大勢出し、衣裳も持ち物も1人ひとりを丹念に描く。女性なら派手な帽子を皆かぶっている。海辺でも俯瞰で、子どもたちは水着だけど、ご婦人方は海辺でもドレスにパラソル、というのを延々と見せる。

 英国のドラマ「ダウントンアビー」も素敵だったけど、お屋敷の限られた空間とお屋敷周辺で生きる限られた登場人物なのを思い出すと、スケールの大きさは比較にならない。こういう映画は、もう現代では制作できないのかなと思う。

 壮大でなおかつ華麗、様々なディティールの積み重ねで、それらが映画の奥行きを生む。

 この状況のなか、期せずして「すごい過去のもの」に出会ったわけだけれど、折り返し切った自分のこれからの人生、今さら言うまでもない名作を観直したり、読み直したりという愉しみで結構生きていけそうな気がする。

 いやいや、自分にとっても未見、未読の名作も山のようにあり、それだけでも残りの人生は足りないかもしれないのであった。

 

【追記】

この集英社文庫の解説は、ドイツ文学者の池内紀氏。作品の背景が詳しく書かれていてこちらも必読。タジオのモデルになった男性のその後にも触れられている! 池内氏のドライな視線というか、筆致がとてもよい。その池内氏も2019年に逝去された。RIP.

2021年が始まりました

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あけまして おめでとうございます

 

 昨年2月から始めたブログ、コロナやら何やらで落ちつかず、というのを言い訳に、結局ろくに更新もせず、年が明けてしまいました。

 年明け早々、再びの緊急事態宣言、厳しい1年の始まりですが、外出する機会も少ないだろうし、これを機にまたぼちぼち続けていこうと思います。

 一度にしっかり書こうとせず、それこそ「つれづれなるままに」その時々の思いを綴ってけばよいのかなあと思うのですが、書き始めるとついつい長くなるので、時間がある時にとなり、時間がある時がなかなか来ないのでした。

 誰に向かって語っているのかわかりませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

🗻写真は、本日1月9日、夕焼けのなかに浮かび上がる富士山。写真家(冒険家?)の石川直樹さんが「今、富士山に入山できないので、人々に踏み固められた富士山が再生するのではないか」というようなことをラジオで言っていたのを思い出します。

 人々が病んでいる間に、せめて富士山が癒されていますように。