九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ

幸田文『きもの』

幸田文の長編小説『きもの』(新潮社)を読んだ。
幸田文の自伝的小説とのことで、明治時代の終わり頃に、東京の下町で生まれた「るつ子」が主人公。
着物を巡る、何かしっとりとした話かと想像していたらだいぶ違って、るつ子が「綿入れの筒胴着は肩のところがはばったくて嫌なのだ」と、胴着の袖を引きちぎってまうところから始まるのであった。
るつ子は幼い頃から着物の肌触りに敏感で、羽二重は好きだけど、メリンスはちくちくして嫌いで、変な匂いがするとか、なかなかに難しい子どもだ。

着物のことを教えてくれるのは、主におばあさん。
「着物とからだを結びつけているのは、腰紐と平ぐけの二本で、これは着物にもからだにも決め手になる」とおばあさんは言う。
私も着物を着るようになってーーごくたまにだけれどーー着物は紐で決めていく、ということが実感としてわかるので、まさにそのとおりと読みながら心のなかで頷いた。
着物のことを多少知ってから読めたのは、よかったと思う。
おばあさんは、「今ここで根をつめて練習して、一度ではっきり身にこたえて覚えてしまえば、あとは苦労なく着られる」とも言う(私もこんなおばあさんに着物のことを教わりたかった)。
昔の人は着るものといえば着物しかないから、自然に着られるようになるのかと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。
やはり着るためのコツを学んだり、練習していたことがこの小説でわかった。
皆、それなりに苦労していたのですね。
るつ子の家は、それほど裕福というわけではないが、女学校には通わせてもらえる家庭。
上の姉ふたりは無事嫁いでいったが、母の病死などもあり、るつ子はよい縁談の話にも恵まれず、女学校を卒業してもできることがないと悩むことになる。
当時は、女性の働き口といえば教師くらいで、「お針子さんや髪結さんのほうがよほど強い」とるつ子は思う。
女学校というのも、よい嫁ぎ先を得るための花嫁修行の場なので、学校を出たからと言って、何かが保証されているわけではない。

そんなるつ子の人生に沿ってタイトルどおり、その時々に身に付ける着物のことが事細かに描かれている。
当時の人々にとって着物は、今の洋服とは比べものにならないくらい、大きな意味を持つもので、着物とともに人生があった。
例えば、姉が嫁ぎ先の紋付きを着て実家を訪ねてきた時、るつ子は母親の様子を見て、「あちらの紋付きをきて来たことが、もう他家の人になった証拠で悲しいのか、それとも江戸褄紋付という立派な新調を贈与されたのが、確乎たる嫁の位置を得たしるしとして喜んでいるのか、どちらとも察しがつかなかった」と思うのだ。
嫁ぎ先の紋の入った着物姿を見て寂しいと思うなど、今では味わうことのない感情だ。

着物の描写はさらりとしていながらも際立ち、その着物が目に浮かんでくるよう。
例えばこんなふう。

「淡いひわ色に、赤茶、こげ茶、濃緑のもみじの葉を撒いたきものは、たしかにこの秋晴れには、濃紫に流れる乱菊よりは数段ひきたつ。おびは白茶の地に、るり色の羽根をした小鳥の模様だった」
音楽会に出かける、るつ子の姉の様子。

「仕立て直しであってもこざっぱりした銘仙にきかえ、白々とした新しい割烹着をつけた。喪の家で、女たちが薄よごれた普段着のまま、台所でまごまごしているのでは、お茶ひとつだされても、なにか小ぎたなく見える。」
母のお通夜での、るつ子の姿。

「紺に白く井桁の絣が浮く明石が用意されていた。はじめて着る薄物だった。」
いざという時、るつ子のためにおばあさんが用意していた夏の着物。

「紺地に白く柳を染め抜いた浴衣をきて、うすみどりの献上をしめ、髪はひっ詰めに束ねて、鼈甲の笄でとめていた。」
関東大震災後、父の愛人である女性の着物姿。その状況や季節感がよく出ている。愛人であっても自立していて、きりりとした女性が浮かび上がってくる。


「......それがわかると人間がふっくり炊きあがってくるからねえ」「雨はみっしりと振り続けて」など、ちょっと古風な言い回しも印象に残る。

この小説の大きな流れをざっくりまとめると......るつ子の女学校時代を経て、上の姉ふたりの嫁入りがあり、母が亡くなり、そして関東大震災が起こる。
この関東大震災のことがかなりの割合を占める。
NHKのドキュメンタリーで関東大震災の特集を見たことがあるが、小説のなかの描写もかなり正確に描かれていると感じた。
1904年生まれの幸田文は実際に経験しているわけだから当然と言えば当然だが、この小説が書かれたのは、それからおよそ40年後のことなので、時系列の正確さ(資料にあたったのかもしれないが)、当時の生々しさや混乱ぶりが細かく描かれ、その記憶力に驚かされる。
るつ子の実家も倒壊したが、幸い父親と兄が健在なので、何とか再建に向けて生活を立て直していく。
そして、物語の終盤、るつ子は家族の反対を押し切って、歯科医の男性を結婚をすることになる。
「白羽二重」の花嫁衣装は色白のるつ子を引き立て美しいのだが、夫となるその人と、微かな不協和音があり、やや不穏な気配を漂わせて終わる。
幸田文自身、嫁ぎ先の酒屋問屋が傾き廃業、離婚後、娘の玉を連れて、幸田露伴のもとで暮らすことになるから、やはり自分自身のことが反映されているのだろう。
というわけで、朝ドラ的な波乱万丈な女性の一代記というわけではなく、幼少期から娘時代、嫁ぐまでの半生の自伝的物語であり、不協和音のこの先がむしろ気になるのだが、そこから先は、形を変えてほかの小説を読めばよいのだろう。
幸田文は、私は随筆を読むことが多かったので、これから『流れる』などの小説も読んでみたい。


当時の人々の暮らしぶり、明治から大正にかけての出来事、そして、小津安二郎の映画などにも繰り返し出てくる、女性が嫁ぐことのあれやこれや。
そのなかで生きていた人々の暮らしと着物との関わりが丁寧に綴られているところがこの小説の面白さ。
現代を舞台に着るものを詳細に綴っていくとしたら、どんな話になるだろう?と思うが、ブランドの話か、アパレル業界の闇......的な展開なってしまいそうだ。
やはり、着物の世界は深い。
幸田文は着物を主題にした小説や随筆がたくさんあり、浦野理一が手がけた「幸田格子」という反物もある。
そんな幸田文が晩年に書いた最後の小説が『きもの』だったということが感慨深い。
「きもの」は単に身に付けるだけのものではなく、その人自身の芯というか、大袈裟に言うと魂に近い存在なのかもしれない。

🍁本書は今も文庫で出版されているが、発行当時の単行本の装丁が美しいことを知った。
だが、単行本の初版は1993年、すでに絶版で、ネットで古本を探して入手した。
箱の背は経年劣化で変色しているが、本体はきれいだった。
箱は小紋っぽい花柄に、黒い部分はよく見ると黒地のなかにうっすらと亀甲紋が入っている。
表紙は赤い布張り、見返しにはもみじの絵、紐は若草色、本全体をまるで着物で包んでいるかのような美しい装丁。
題字は著書、装画は著者の遺愛品とのこと。
最近は、こんな装丁の本は滅多に見かけなくなった。
90年代初め頃までは、日本もまだまだ豊かだったのだなあ......と、本を手にしながらしみじみ思ってしまった。