九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ

岸政彦+柴崎友香『大阪』を読んで

東京から大阪に移住して7か月ほど経った。
(*移住の経緯は以前の記事に→4月から大阪で暮らしています - 九月ウサギの手帖)
大阪では勤めをしていないし、これといった活動もしていないので、近所や時々出かける難波や梅田といった中心地、わずかに足を伸ばした2、3の場所以外は大阪のことを何も知らない。
もともと関西出身ではない私には、友人もいない(大阪に来てからすごい偶然で知り合った同世代の女性ひとりだけと、今まで二度ほどお散歩&ランチをしたことはあるけれど)。

書店で、そんな私の目に留まったのが、タイトルもそのものずばり『大阪』(河出文庫)。


大阪で行ってみたい所、気になる所に付箋を貼っていったら、付箋だらけに。

著者は、社会学者の岸政彦と、作家の柴崎友香
他所から「大阪へ来た人」(岸政彦)と、現在は東京在住の「大阪を出た人」(柴崎友香)による共著エッセイ。
岸政彦は『断片的なものの社会学』を読んだことがあって、柴崎友香の小説は未読なのだが、『寝ても覚めても』は映画を観ていて印象深かったので、このふたりの共著なら間違いないかもと、大阪のことを知りたい私は手に取った。
対談でもなく、往復書簡でもなく、視点も違っていたりするのだが、ふたりのエッセイには響き合うものがある。
単なる大阪のガイドブック的な本ではなく、ふたりそれぞれの個人史と大阪の街の関わり、その時代ごとの大阪が丹念に描かれているので、私のような人間が読んでも大阪を身近に感じられた。
柴崎さんは生まれ育った大阪の街と自分自身との関わりを、岸さんは大学入学から始まった大阪暮らしのことと、大阪で出会った人々のことを主に書いている。
(ふたりとも知り合いではないが、なんとなく、さん付けで呼びたくなるような親しみを覚えるので、以後、岸さん、柴崎さんとする)
岸さんの前に現れる人々のユニークさ、面白さが格別。
岸さんの視点が面白いのか、偶然そういう面白い人たちが岸さんの前に現れるのかわからないけれど。
生活史を手がけている社会学者・岸さんの視線と、記憶力の素晴らしい作家・柴崎さんふたりの描写で、大阪の街の空気感と風景とが立体的に浮かんでくる。


柴崎さんは私より10歳年下だけれど、思春期から若い頃までの過ごし方に親近感を覚えた。
1980〜90年代頃まで、難波辺りにはお洒落な洋書店やミニシアターがあって文化の香りがする場所がたくさんあったのに、今はどこもなくなってしまった......というのは、東京も同じだと感じた。
池袋の西武には、くらくらするような棚の品揃えの書店リブロをはじめ、西武美術館があって(現代アートのヨゼフ・ボイス展なんかもやっていた!)、WAVEは六本木にも池袋にも渋谷にもあったけれど、東京のそういう店舗や施設はほとんど消えてしまった。
バブル期、世の中は浮かれていただけでなく、文化にもその豊かさ(お金)は流れていたんだなあと思う。
世代はちょっと違うが、私も柴崎さんもそれを享受できた世代で、大阪も東京も、バブル崩壊後、だいたい同じ頃に衰退していったことがわかる。

柴崎さんは作家だから文章が上手いのは当たり前だとして(この本でとっても好きになったので小説も読む!)、岸さんも社会学者だけれど、文学的で時に詩的。
と思ったら、小説も書かれているそうなので、当たり前か(私は、小説の方は未読)。
大学生の頃、淀川の河川敷で遊んだ夜を思い出し、こう綴る。


あの夜の笑い声は花火が弾ける音は、河川敷の広くて真っ暗な夜空に吸い込まれてしまって、もう二度と戻ってこない。宇宙の一部になってしまったのだろう。
いまでもどこかを漂っているだろうか。(岸政彦)

三十年前に歩いた淀川と同じ場所を、今でも歩いているということに、心から驚く。空間的には同じ場所を、三十年という時間が流れていることに驚く。そして三十年前と同じ私がそのまま存在して、三十年後も同じ場所を歩いている、ということに、ほんとうに驚く。(岸政彦)

そこで過ごした過去の時間と、現在と。
街への記憶というのは、重層的なんだろうな。
というわけで、大阪のことを知りたくて手に取った本で、確かにいろいろ知ることができたけれど、思いがけず、自分が長年暮らしてきた東京についても思いを馳せることになった。
幼少期から20代半ばまでいた、池袋近辺の思い出。
名画座や、年々発展していった西武デパートと、そこにあった本屋やレコードショップから広がった世界。
20代の時、自分の意志で住んだ中央線沿線も心に刻まれていて、本当の故郷のように感じている。
中央線沿線は、ある意味、「自分で選んだ故郷」なのかもしれない。
井の頭公園は何度歩いたことだろう。
井の頭公園を横切って行く、リユース着物屋「小春家」さん。
明るく気さくな女性店主は、いつも小春日和みたいな感じの素敵な人で、着物初心者だった私へ、着物の入り口を作ってくれて、手頃な価格で中古の着物をいろいろ買わせてもらった。
友人と食事やお茶をする時は、ほとんど吉祥寺かひとつ手前の駅の西荻(私の友人は中央線沿線住人が多く、また、住人でなくても、中央線沿線に来たがる人が多かった)。
西荻は吉祥寺より小じんまりとしていて、個人経営の小さな可愛らしいお菓子屋さんやカフェ、アンティークショップや雑貨店などがあり、童話か絵本の世界に迷い込んだのでは?なんて思ったこともある(西荻の街自体はそんなにキラキラしておらず、地味なのだが)。
西荻や吉祥寺、住んでいた三鷹、時々阿佐ヶ谷......中央線のそれらの街に私はもう住んでいなくて、歩くことがなくて、でも私がいなくても街は変わりなく続いていて......それでも私がいた街は、私のなかにあり続けるんだな。
そんなことを思った。
『大阪』の話から、それてしまったけれど。

柴崎さんは大阪人について、何かおめでたいことがあった時に道頓堀に飛び込んだりする人たち(私もニュースなどで時々目にする)のことを、「あんなん言われたら飛び込まないとしゃあないやんけ」という心情がほんとのところで、「自分が目立ちたいからではなく、人の期待に応えようとがんばってしまうのが大阪の人なのだと思った」と書いている。
ああ、そう言えば、以前いた職場でも大阪出身の人がいて、周りから面白いことを言うのを期待されてしまうので、ついがんばってしまうと、本当にそんなことを言っていたなと思い出した。

東京にいて接する情報の大阪は、ステレオタイプな「大阪」イメージと、特に万博の話が進んでからはあまり歓迎されないニュースばかりで、というのは自分の狭い世界の偏りかもしれない。自分の体が大阪に行って大阪の人と話せば、東京で知る「大阪」とちゃうやんとすぐに思うけれど、そんなふうにギャップがあることに対してもう長いこと大阪にいないわたしは、どこにいる誰なんやろなあ、と思ったりする。(柴崎友香


春まで東京にいた私も、まさにそういう狭い世界の偏りで大阪を見ていた。
なんでだろう、大阪って、一部のどぎついお笑いや大阪弁のせいなのかどうかわからないけれど、偏見をもたれやすく、ステレオタイプ化されやすい土地なのかもしれない。


岸さんは今後の仕事として、大阪に貧困についても調べて書いてみたいと言っていた。

大阪の自由さ、気取りのないざっくばらんなところ、気さくで、ほがらかで、懐の深いところも、おそらくは、暴力や貧困や差別と一緒になっているだろう。(岸政彦)

この本を読んでわかったのは、大阪をステレオタイプに一面的に捉えることのつまらなさだ。
せっかく大阪にいるのだから、もっとあれこれ知ってみたい。
岸さんが宇宙でいちばん好きな場所はどこか、と聞かれたら、間違いなく、この淀川の河川敷だと答えるだろう」と書いている、その淀川の河川敷もいつか歩いてみたい。

(巻末の西加奈子さんの解説も秀逸です)

 

⭐️余談⭐️
先週の11月17日の日曜日、この本の「大阪ほんま本大賞特別受賞記念」トークイベントが梅田であるということで、行って来ました。
柴崎さんはアメリカからオンラインで、岸さんはリアルで。
岸さん、ラジオのパーソナリティになったらいいんじゃないかなというくらい、話が面白かった(ポッドキャストはやっていらっしゃるとのこと)。
岸さんちの愛犬ちくわのことから、ぶしつけだけど憎めない大阪のおばちゃんの話、ついツッコミを入れずにはいられない大阪の若い学生の話、などなど。
終わりに、本にサインをしてもらえるということで、並んでみた。
岸さんはサインしながら、一人ひとりとあれこれ話をしているので、私はこういう場で短い時間にぱぱっと話すのは苦手なのだが、気さくな岸さんに何か話してみたくなった。
「この春に定年退職して、夫の仕事の関係で、東京から大阪に越してきたばかりなんです」と簡単に言って、生まれも東京ということを伝えると、「それはつらいでしょう?」だったか、「大阪、つらくない?」だったか、そう言われたので、「つらいです!」と答えてしまった。
その言葉のなかには、慣れなくてつらいけれど、これからいろいろ探してみたい......とか、大阪で嫌な思いをしたわけではなく、長年いた場所からこの年でいきなり未知の土地で暮らしたら、どこでもそれなりにつらいですよ......というニュアンスもあったのだが、長々と喋れる時間もなかったので、咄嗟にそう答えてしまったのだ。
「大阪は面白いよと言われるんですが、なかなかその面白さに到達できなくて」と続けたら、つらいです!とはっきり言い切ったのがウケたのか、「つらいです!って、そんな(笑)......あなた自身が面白いから、だいじょうぶだよ」と笑われてしまった。
いやいや、私はたいして面白くない人間なのだが(大阪弁で言ったら、おもんないんよ、かな?)。
というか、「大阪に越してきたばかり」と言ったことに対し、岸さん自身は大阪が大好きなのに、いきなり「つらくない?」なんて言う岸さんこそ面白いのでは?と、今は思ったりしている☺️
そのあと岸さんは、民博はおすすめですよ、とも言ってくれて、万博記念公園にある国立民族博物館がいいという話は確かによく聞くので、ぜひ行かなくてはと思った。
こんなふうに、初対面の人を相手にパッと言葉を繰り出せるのは、才能なのか、長年、社会学者として生活史を聞き取りしてきたことの賜物なのか、すごいなあと思う。


⭐️さらに余談⭐️

大阪の人とほとんど交流はないのだが、私が聞き耳を立てて遭遇した、面白いおばちゃんの話。
携帯ショップにプラン変更に行ったら、隣席に年配の「おばちゃん」がいて、店員の説明がややこしかったのか、「ようわからんわ」を繰り返してて、そのうち、
「わたしら年寄りにそんなん言われたら、皆ここに来て、暴れてまうで〜」(大阪弁、完璧に再現できてないかもだけど)と。
お店の人は笑っていた。
関東辺りだと、こういうことがあったら「わかりにくいわね」とうんざりモードになるところを、「暴れてまうで〜」と言うのが、ああ、大阪っぽいなと、私も心のなかで笑ったのだった。