『ハードワーク 低賃金で働くということ』(ポリー・トインビー著/東洋経済新報
社/2005年7月初版、2020年現在絶版)を読んだ時の記事。前の前のブログで書いたもので、2005年12月11日付。なんと15年程前ということになる。
著者が書き始めたのは2002年頃、労働党のブレア政権だったが、社会情勢はあまりよくなかったらしい(終わりの方にそのことが書いてある)。この後、労働党のブレア政権も2007年に終わりを迎え、再び保守党の政治へ。
格差社会は一層進み、その辺りの庶民の生活の厳しさは、ケン・ローチ監督が映画として「わたしは、ダニエル・ブレイク」「家族を想うとき」などで描いている。
なぜこんな古い記事を再掲するかというと、この本が日本でも出版された2005年当時、まだ日本ではそれほどあらわになっていなかった貧困問題が今はもう、当たり前のことになり、ここに書いてあることはほぼこの国のことにもなってしまったから。
私自身、文末に「日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)」などと呑気なことを書いていたので、自戒というほどのことではないが、あらためていろいろ考えてみたいなと思ったのだ。
「ご飯はおいしいし」とか書いているけれど、今では外食産業がブラックな労働に支えられている面が大きいと思うし、「地震はあるけれど」どころか、大震災が起きてしまって、地震の被害だけでなく、原発事故を巡って今まで積み重なっていたとてつもない大問題が露呈した。
それから、これを書いた時は、仕事がまだ契約の身分で時間だけは今よりあり(引用部分はどこかからのコピペではなく、本から一字一句入力した!)、かつ、このまま頑張れば正規で働けるかもという、ちょっと先の見通しもできてきた時期だったので、余裕が多少あったのだ。
そう思うと、本当に余裕がなく、自分自身が貧困に陥っている時は、その状況をなかなか冷静に判断できないのだな、とも。
今は日本の貧困問題については、雨宮処凛さんなどが本や記事をたくさん書いているし、イギリスの社会問題については、実際にイギリスで保育士として仕事をした経験もあり、家族もいるブテレイディみかこさんの本などが詳しい。
とりあえず、十数年前にちゃんとこんなルポが書かれていた……ということで、長いですが、よかったら読んでみてください。
ここから
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『ハードワーク 低賃金で働くということ』(ポリー・トインビー著/東洋経済新報
社/2005年7月)を読んだ。
著者は、イギリスのガーディアン誌の女性ジャーナリスト、ポリー・トインビー。イギリスは、サッチャー政権以降、所得格差がますます広がり、固定化されたとのこと。もちろん、イギリスは昔から階級社会だったけれど、ワーキングクラスは結束力があり、組合などを通し、それなりの権利を勝ち取ってきた。
でも、そういったワーキングクラスの力も弱まり、福祉も削減......させたのが、やはりサッチャーらしい。「サッチャー政権以来、英国は後ずさりしてきた」のだそうだ。失業と低賃金労働を往復する貧困層が実に3割を占める社会だそうで。
そこで、ポリー・トインビーは、身分を偽り「40日間、時給4,1ポンド(約820円)の最低賃金で暮らす」という体験取材をする。その記録が本書だ。イギリスは想像以上に厳しい国だなあと感じる。イギリスのワーキングクラスは、映画などでもよく登場するが、トインビーが伝えてくれるのは、ワーキングクラスなりの成功や連帯からも外れた、本当に最低賃金の人々の苦しい実態。シングルマザー、病気で前の仕事をリストラされた人、移民......などである。長くなるが、いくつか引用してみる。
恵まれた立場にいる人たちは何世代にもわたって、「実力本位」という言い訳に頼ってきた。貧しい家庭の子どもでも、賢ければ出世できる――これが本当なら、不平等な現実にも目をつむることができる。誰にもチャンスは平等にある、と信じ込むことができれば、恵まれた人たちも良心を傷めることなく、自分たちの暮らし方が正当化できた。しかし、この方便が通用しなくなってきた。なにしろ、中流階級へと続くはしごがはずされてしまったのだ。P13
「実力本位」という理想が消えたために、すべてが変わってしまった。――ある種の肉体労働が「単純作業」でも、はしごの一段目にすぎいと思えば、低賃金でも当然と納得する気にもなる。しかし低賃金労働者がはしごを何段も上る例など、いまやほとんどないことが明らかになった。たまに一段上ることがあっても、すぐに滑り落ちてしまう。失業状態と低賃金のあいだを、不安定に往復するだけだ。まさに、社会的進歩が停止したといわざるをえない。P15
たしかに最近は、身なりで懐具合を見わけるのがむずかしい。飛び抜けた金持ちや、飛び抜けて貧しい人はそれとなくわかることもあるが、衣料品の安売り店が普及したおかげで、低所得者もそれなりの服装が整えられる。毛布をかぶって道ばたに座るホームレスの人たちは、日常生活から明らかにはずれて突出しているので、いやでも目について心が乱される。しかし、けんめいに働いても貧しさから抜け出せない何百万もの人々は誰も目を止めない。社会的正義がおこなわれていないという事実は、こざっぱりした身なりに隠されているから、バスや地下鉄のなかで愕然とさせられることもめったにない。しかしじつは、毎朝職場へ急ぐ人の五人にひとりは時給六ポンド(1200円)以下、週にして240ポンド(4万8000円)以下しか稼げていない。これでは週刊誌に紹介されるようなレストランで食事をすることも、カリスマ美容師の店でヘアカットをしてメッシュを入れることもできないではないか。P15~16
私たちは、孫子の世代に向かって、この状況を正当化することができるだろうか。人間は生まれつき、公平と不公平を見わける素朴な感性を持っていると思う。その感性に照らして、現在の状況は公平ではない。P20
とにかく、社会が回っていくためには必要な労働――介護、清掃、給食調理――といった仕事が、ハードなのにことごとく低賃金なのだ。特に、老人介護は、それなりの技術を要するし、精神的負担も大きいのに、フルタイムで働いても、満足に生活できる月給は得られないらしい。これは、日本でも同じだ。企業買収に携わる人々が年収何千万も得る一方で、こういう仕事に就く人々がかくも不遇なのは、なぜなのだろう?
「しょせん、恵まれた立場のジャーナリストの短期間のお気軽な体験取材」などと批判する人もいるみたいで、確かにそうかも知れないが、私は彼女の取り組みは立派だと思う。最低賃金の仕事を体験するだけでなく、本当にその賃金だけで生活し、その収入に見合った公営住宅で暮らしたのだ。
マスコミなんて、不安を煽り立てる報道ばかりしがちで、自分たちがいる恵まれた立場からは動こうとしない人々がほとんどなんだから。それと比べたら、トインビーは偉い(日本にも、そういうジャーナリストは少数ながらいるけれど)。だから、彼女の本は実感がこもっている。そして、他者に対して感情移入し、共感できる感受性が素晴らしい。
で、最低賃金で暮らしてみた結果は、どんなに頑張っても赤字だったそうだ。耐え切れなくなって、こっそり外食したりしたことも白状している。また、彼女にあてがわれたランベス地区の公営住宅のひどさも、ショックだった。イギリスって福祉国家じゃなかったのか、そうかサッチャーのせいでこんなに変わったのか......と。政府からは完全に見放され、管理されていないので、エレベータが止まっていたり、ゴミが散乱していたり、ヤクの売人の溜まり場になっている部屋があったり、強盗事件が多発......と、その荒みようは、日本人にはちょっと想像しがたいほど。そういう悪環境で生まれ育った子どもは、悪い仲間に取り込まれ、犯罪に走るケースも多くなるというのは必然かも知れない(それでも、本書の後半では、その公営住宅も改革の対象になりつつあるのがわかってくるが)。
――今回、私が経験した職場の仲間の多くは、時代遅れのヒエラルキーのせいで、能力以下の仕事を押しつけられていた。彼らを、病院なら病院の、全体像の一部に組み込むべきだろう。ピラミッドの最下層と見るのではなく、なめらかな全体を構成する煉瓦のひとつと見るのだ。P90
と、病院のポーター(車椅子の人を案内したり、移動させたりする仕事)を経験した彼女は言う。これは、今の日本のフリーター、ニート問題にもあてはまることだと思う。
スムーズに職を移るのは、本当にむずかしい。あいだに給料の入らない期間がはさまるからで、懐具合を心配せずに転職できる人はあまりいないと思う。P91
これも本当に実感! 私も派遣をたびたび変わった経験があるので、身に沁みてわかる。条件が悪くても、貧しければ貧しいほど、そこから身動き取れなくなるという、悪循環に陥ってしまうのだ。
そして、トインビーがいいのは、こんなふうに正直なところだ。
少なくとも私には、シンプルライフにあこがれたり、節約の喜びに浸ったりする趣味はない。「消費拡大主義」(コンシューマリズム)以前の古き良き時代を懐かしんだこともない。昔からショッピング大好き人間だ。ただ、この喜びがもっと平等に享受されればいい、と思ってはいる(ブランド全盛に眉をひそめる人は、ブランド品などなにもない安い店で買い物をしてみるといい。聞いたこともない怪しげな包装の食品や洗剤を買うのは、不安なものだ)。外食したり、映画や芝居を観たり、自宅に友人を招いてパーティをするのも好きだ。ワイン、ドレス、休日。ときには外国の都市に飛んで、長い週末も楽しみたい。物質主義に侵された現代社会を嘆くこともない。人間は元来物質主義的な存在で、だからこそ動物と違って、進歩のために努力するのだと思っている。地球という星を損なう行為を懸念することをべつにすれば、快適な暮らしになんの文句もない。「土への郷愁」はまったくないし、富める暮らしより貧しい暮らしのほうが自然に近いとか、倫理的に優れていると思ったこともない。英国には昔から、高等教育を受けた人たちが貧しい暮らしにあこがれる風潮がある。持ち物が少なく、困難な選択に迫られることも少ない暮らしが一見「単純素朴」に思えるからだろう。私が低賃金労働の職場で出会った人たち(大半が女性)には、選択の余地がほとんどなかった。P95~96
国には公共サービスの補助的作業を民間に委託して「効率」を買ったつもりかもしれないが――国としてはこんなひどい労働条件を押しつけるわけにはいかないが、民間企業なら大目に見られる。p124
イギリスは、そうやって民間へ、民間へと委託するようになり、民間は利益をあげるため、フルタイムで人を雇わず、短時間のシフトで多くの人を雇うようになった。そんな細切れ労働では皆、食べていけないので、2つも3つもかけもちをしている人が少なくない。早朝の清掃の仕事をして、昼間も働いて、夜また清掃......というような。特に、子どもの世話をしなければならない女性がそんな過酷な働き方を強いられているそうだ。
日本もすでにその道を歩んでいるような気がする。
懐に余裕がないため、あらゆる行動が制限された。飢えない程度に食べることはできたが、楽しみ抜き、アルコール抜きの食事は味気なかった。しゃれた店が視界から消えてはじめて、現代に生きるほとんどの人同様、私にとってもショッピングがどんなに重要だったか気づかされた。劇場や画廊、レストラン、ブティックなどが並ぶ、何度も通ったなじみの道が、私の地図から消え失せた。どこを歩き、どんな建物の前を通りすぎても、すべてが境界の向こうにある。ほかの人たちのもので、私のものではない。スターバックスのソファが私を誘ってくれることもないし、本屋やレストランはもちろん、街角の小さなカフェでさえ私にとっては存在しない。世間並みの楽しみを与えてくれるあらゆる場所に、「立ち入り禁止」の大看板がかかっているようなものだ。ほかのすべての人たちが生きている消費社会への「立ち入り禁止」。過酷なアパルトヘイトだ。客を呼び込んで、買って、買って、買ってと誘うために明るく照らされた入り口が、英国民の三分の一にとってはぴしゃりと閉ざされている。こうして排斥されてみると、都会の町並みは険悪な顔を見せる。同じショッピングでも、懐と相談しながら貧しい食料を買いそろえるのは楽しくないし、回を重ねるごとにつらさが増してくる。P300
ここを読んだ時は、胸が痛くなった。そう、世の中すべてが貧しければ、まだ我慢もできるけれど、自分の目の前にはきらきらした消費の世界が広がっているのに、自分には無縁......というのは、本当に辛い。私自身、今はようやく安定した収入の仕事に就けたけれど、どん底も味わった。クリスマスの季節はデパートの前を通るのすら苦痛だった。自分だけ世の中からポツンと切り離されているみたいで、孤独な感じがした。食事や遊びに誘われても、断わざるを得なかった。何も身動きがとれなかった。
と言っても、私の場合、自分自身の生き方の下手さ加減のせいもあったし、ある程度やりたいことをやった結果だとか、離婚したとか、運の悪さのせいにできる部分もある。
でも、そうではなく、生まれた階級とか人種のせいでずっとずっとそういう生活だったら、どうだろうか? フランスの移民の若者の暴動は、きっとそういうことだ。今辛くても、希望があれば人間はなんとかやっていけるのだと思う。先の見通しが立たない、いつまでもこの悪い状況のまま、という、やるせない閉塞感が絶望を生むのだ。彼らが、ブルジョアの象徴である車に火を放った気持ちは、痛いほどわかる。日本も同じような道を進んでいるけれど、フリーターの若者たちはまだ親にパラサイトできる率が高いから、深刻さが見えてこない。でも、親の資産も無限ではない。尽きる時が来たら......。フランスやイギリスも深刻だけれど、日本の若者の諦めたような静けさも、何か不気味ではある。
なお、トインビーによると、欧州の中では、やはり北欧諸国やオランダは所得格差が少なく、イギリスにあるようなもろもろの社会問題も比較的少なく、高い税率にも国民は納得し、成功しているらしいので、何かしら違うやり方があるはずだと言っている。ブレアもアメリカ寄りなのがけしからん、とのこと。結局、そういうことになるのか......。なんせ、アメリカは格差社会のうえ、イギリス以上に福祉も社会保障も貧弱だそうで。そう言えば、アメリカの医療ドラマ『ER』でも、「保険に入っていないから、病院にはかかれないの!」なんていうセリフがよくあったなあ。国民健康保険などなくて、自分で選択して民間の保険に入らないといけないのか? 弱者切り捨て、すべては自己責任ということなのか......。
この本を読むと、アフタヌーンティー、ガーデニング、田舎でのスローライフという「光」の部分のイギリスのイメージは大きく覆される。社会の底辺で見えてくるイギリス社会の過酷な現実。若い頃、イギリスで暮らすのが夢だったけれど、今は思わない(ある程度のお金を持って、観光するのが一番だ)。
日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)。まあ、日本もアキハバラ、ワンダフル!なだけの国でないのは当然で、どの国にも光と陰はある。とにかく、アメリカに追随すると、ロクなことにならないのは事実かも知れない。