九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

ミナ ペルホネン展 記憶される服 

 先週金曜日、ミナ ペルホネン展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」を東京現代美術館で観て来ました。

www.mot-art-museum.jp

 今や多くの人が知っている「特別」なブランドで、ここでいうまでもないのだけれど……私は以前、NHKの番組「プロフェッショナル」で、ミナ ペルホネン(以下、ミナ)の丁寧な服づくりを知り、驚かされたことがある。

 とはいえ、ラブリーなイメージのミナが東京現代美術館、という意表をつく組み合わせで、果たしてどういうものか? ちょっと行ってみようかな、くらいの軽い気持ちで出かけた(先週あまりに気忙しく、むしょうに美しいものを見たくなった、というのもある!)。

 

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 やはり東京現代美術館という舞台装置もあるせいか、想像以上になかなか凄いもので圧倒された。ここまでの展示数というか、量があると、「服」を通り越して、「アート」になるという印象。

 それはもう、ラブリー、可愛い、を超えた「何か」。

 比較するのもなんだけれど、壁面一面に服が吊り下げられたその様と雰囲気は、ちょっとボルタンスキーを連想してしまった。 

 で、その「何か」とはなんだろう?と、これは展示を見終わってからの感想だったのだけれど、「記憶」かもしれないと思った。

 現代はファストファッションが多く行き渡り、消耗品と同じように着つぶして、記憶される間もなく捨てられていく。そんな服とは、対極にある記憶される服たち。

 また、鑑賞後に会場構成が新進気鋭の建築家・田根剛氏であることを知り、なるほど、そういう方の技も入っているのかと納得。

 田根剛氏は、エストニアの、旧ソ連の飛行場滑走路跡をそのまま活かした博物館館などを手がけた世界的な建築家。

 

考古学的な(Archaeological)リサーチと考察を積み重ねることで場所の記憶を掘り起こして未来をつくる建築を「Archaeology of the Future」と呼び、その実現を追求し続けている。 ウィキペディアWikipedia)/田根剛 より

 

 服を大事にする思いと同時に、「せめて100年つづけたい」という皆川明氏の思想(この際、ブランドイメージというより、思想や哲学と呼んでしまいたい)と、田根氏は共鳴するものがある。

 

 映像のコーナーもあり、ミナを身にまとう人たちの生活の短いシーンが映されているのだけれど、あまりに美しいので、モデルさんを使ったイメージ映像なのかと思ったら、実在の人と後で知り、これもびっくり。

 パリのカフェで、ぶどう畑で、そんな労働の場で惜しげもなくミナを着ている人の姿は美しかった。

 

 そのほか、皆川氏のイメージの源泉や創作の過程、特に複雑な織りや刺繍がつくられていく工場での工程は気が遠くなりそうなほど緻密で、まあ、あのお値段の理由もわかるというもの(生地の織りから、縫製まですべて日本で)。

 このブランドのことを人と話す時、決まり文句のように「可愛いけれど、お値段は可愛くないのよね」と言い合ってしまうのだけれど、その理由ですね。

 最後のコーナーは、ミナを愛用している一般の人たちの服と、その服にまつわるエピソードの展示。

 ここまで長く愛され、記憶に留まる服、というのは、やはり現代ではなかなかないのでは?と、このコーナーは特に印象深かった。

 コートを長く着ているうちに、袖口など表の生地が擦り切れて、その下の地の違う色が見えてくるのも味、というのがあって、わー、それは私もほしいなあと思ってしまった。

 このコーナーの最後、「昨年他界した妻のお気に入りの一着でした」というエピソードに胸をつかれる。7年前に京都店で購入したこと、仕事の合間をぬってお店を覗くことが日々の潤いだったこと、この服を着ていると生き生きと輝いて見えたこと(メモしたわけではないので、このとおりではなかったと思うが)。

 そして、「ありがとうございました」と結ばれていた。

 その今はなき妻の一着は、ミナのシンボルともいえるタンバリンの刺繍が入ったワンピースだった。

 着ていた持ち主がいなくなっても、こんなふうに思い出とともに残り続ける服……というものが、今どれだけあるだろうかと思うと感慨深い。

 

 ところで、ミナのおそろしいところは、所有できなかったものでさえ、記憶に残り続けてしまうところ。

 あれは確か、取材で京都に出かけた2012年の2月(上記の、今は亡き女性が購入した時と同じ頃だろうか)、ミナのお店が入っているビルがレトロで素敵なので、購入はできないけれど、せっかく京都まで来たからとお店を覗きに行った。

 そこで、木が並ぶ森のコートに一目惚れ(写真の真ん中)。

 私がほしかったのは、もっと深い緑の木のもの。もしこのコートを着たら、それはなんだかもう、森を身にまとっているようだ、と思ったのだ。

 その森のコートに再会できるとは!

 この柄の正式名は、metsä/メッツア=フィンランド語で森の意味。

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 お値段は確か、95,000円くらい。コート1着に10万は贅沢だなあ……とあきらめたのだがーー中に着る服との組み合わせがが難しいかも、それほど保温性はないかも、などあきらめる理由をいっぱい考えて。
 折にふれ、この森のコートを思い出しては、あの時、清水の舞台から飛び降りればよかったと忘れられないのだった。ああ、ほしかったなあ(と未練いっぱい)。
 

 また、様々な分野でもコラボしている皆川明氏、中村好文氏設計の小さな家まで展示されていた。このキッチン、このままうちにほしい。強烈にほしい(笑)。

 皆川さんも中村さんも、自ら料理をする方なので、「キッチン」のことがわかっているんだよねえ。シンプルで美しく、動線が考えられていて作業はしやすく、右下にはざるや盆を収納するスペースまであり(こういうの、置くところに結構困る)、素晴らしい。

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 「記憶される服」なんてもっともらしいことを書きつつ、結局最後は「ほしい」に集約されてしまうのも、おそろしい(褒めている)。

 もっとも、そうでないと、ブランドして存続していけないだろうし。

 芸術性だけでなく、ブランド発信力と商業的な成功、さらに日本の職人の方々とものづくりの現場へのリスペクト、そのすべてを兼ね備えた、やはり稀有なブランドなのだ。

 ということを再確認できた展覧会でした。

 

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上のスカートの裾の部分を拡大すると…こんな絵本のようなシーンが!


 展覧会は今月16日まで。ミナファンも、ファンでなくても一見の価値ありです。

 さて次回は、わずかに所有している「私のミナ ペルホネン」のことでも書いてみようかな。

 ということで「つづく」。 

 

*同じ現代美術館で開催されていたDUMB TYPE展も興味津々だったのだが、さすがに両方を鑑賞する体力、気力に自信がなく、見送った。