九月ウサギの手帖

うさぎ年、9月生まれのyukiminaによる日々のあれこれ、好きなものいろいろ。

残酷な神が支配する① 「その絶望には いまだ名前がないのだ」

 この記事は、以前のブログに2006年9月18日付けで書いたもの。この記事は、以前の

読みにくる人がほんのちょっぴりな私のブログのなかで、アップして13年経っても未だに時々読みにくる人がいる、いちばん人気の記事なので、ここに転載することにした。

 萩尾望都という偉大な漫画家の人気故なのだろうが、こういう長い感想を書く人が今は減っているのかな?とも思う。

 今は「毒親」という言葉が使われたり、虐待、育児放棄についても社会的に問題視され、専門家の意見も聞けるようになったが、連載時の1990年代の日本では詳しい人は少なかったはず。

 その当時から性的虐待(それも義父から息子への)をテーマにしたということは、驚くべきことである。

 それだけに、読んだ時の衝撃は忘れられない。

 というわけで、ここからです。

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 萩尾望都の『残酷な神が支配する』(小学館)を先日、持っていなかった巻を取り寄せして、ようやくすべて読了した。「プチフラワー」にて連載9年にも及ぶ、萩尾望都、渾身の大作(全17巻、現在は文庫化されている)。2001年にすでに完結しているので、今さらという感じだが、素晴らしい作品なので、紹介したい。

 

 母親の再婚相手の男性グレッグ――イギリスの一見紳士的な、しかも資産家――に、性的な虐待を受け続ける16歳の少年ジェルミの物語(ジェルミはアメリカ人)。
 「残酷な神が支配する」とは、アイルランドの詩人W・B・イェイツの文章の一節から。残酷な神は、もちろん、その男性のことである。
 
 なぜジェルミは、受け続けた虐待のことを人に相談し助けを求められなかったのか……ジェルミの苦しみを克明に描きながら、周囲の大人たちの身勝手さが浮き彫りにされてゆく。
 
 ジェルミの母親、夫を亡くしたサンドラは精神的に自立しておらず、その寄る辺のなさをすべて息子のジェルミにぶつけていた。息子を大事にしているように見えて、サンドラはジェルミに依存している。夫の身代わりであり、恋人。
 「お父さんが死んじゃったんだから、サンドラを支えるのは僕しかいないんだ」と思い込むジェルミ。実際に母親は、息子に「サンドラ」と、自分のことを名前で呼ばせていた。ある種の精神的な近親相姦状態。
 ジェルミは、そんな母親のあり方は、自分への愛なのだと信じきっている。だから、グレッグにセックスを強要されても(それも鞭で打つという、サディスティックな暴力も含んでいる)、我慢する。彼に、「いいかい、このことはサンドラには内緒だよ。ばらしたら、サンドラとは別れる。そうしたら、サンドラはさぞ悲しむだろうね」と脅迫されていたからだ。
 サンドラは、自分の息子を夫代わりにした挙げ句、なおも実質的に庇護してくれる相手を求め、イギリスの資産家であるグレッグと結婚する。
 ここで、萩尾望都が上手いのは、そのサンドラを決して醜くは描いていないこと。容貌も美しく、人当たりも柔らかく、本当に息子を愛しているように描いているのだ。読者もそう思い込んでしまう。

 

 さて、アメリカからイギリスに渡り、大きな環境の変化もあったうえ、グレッグからの惨い虐待で心身ともに決定的なダメージを受けたジェルミは、次第に自分自身を肯定できず、自己破壊衝動にかられていく。
 無関心を装う大人たち、そのなかで壊れてゆくジェルミ。
 追い詰められたジェルミは、ある恐ろしいことを計画し、それが大きな悲劇を生む。

 

 そのなかで唯一、救いの手を差し伸べるのが、グレッグの長男イアン。
 初めは、ジェルミに対して疑心暗鬼だったり、長男としての単なる責任感でジェルミに近づいていくのだが、それがいつしか愛情――それも恋愛感情を含んだ――へと変化してゆく。
 このイアンとジェルミ、ふたりの葛藤の描き方が圧巻。
 少年時代に傷を受けた、いわゆるアダルトチルドレン的な人間は、他者を信用できず、心を閉ざしてしまうから、その暗い森へ分け入るのは大変なことなのだ。舞台も、暗い森が暗喩のように度々出てきて、とてもドラマティックだ。
 そして、感動的なのは、イアンは決してそこから逃げないこと。自分の父親の醜さを直視し、ジェルミを好きになってしまうという自分のセクシュアリティに戸惑い悩み迷いながらも、ぶつかっていく。
 時として、ふたりのやり取りは、生きるか死ぬかのぎりぎりのところまでいってしまう。
 「向こう側」に行きそうになりながら、なんとか踏みとどまり、「こちら側」に戻って来る、という感じで、本来ならば心理学者がやるべき危険なことをイアンが引き受けている。

 

 もちろん、イアンのすすめで専門家にカウンセリングも受けるのだが、それだけではなかなか回復しないのだ。

 

 そして、「おまえの痛みに 目をつぶらない」
 というイアンの言葉には、ちょっと泣きそうになってしまった私。
 もしかしたら、こんなふうに無条件で相手のすべてを受け入れ許すことが、本当の「母性的」な愛情なのかも知れない。 イアンは性別としては男だけれど……。同時に、ジェルミを強引にでも社会へ出すという役割も果たし(どんなことをしたかは後述)、「父性的」な側面も併せ持つ人物だ。

 

 ――と、あまりの大作であり、シリアスなテーマであり、登場人物も多数でいくら書いても書き切れない。
 グレッグのような人物がいる一方、イアンの元恋人のやさしいナディアや親身になってくれる心理学者オーソン先生、ジェルミの通う寄宿学校の同級生たちなど、魅力的な人物も多数出てくる。
 
 興味のある方はぜひ読んでみてください! 損はしません。
 この義父のグレッグが、モラル・ハラスメント的人物。
 初めは実に紳士的なのに、だんだん本性があらわれ、サンドラがうろたえ泣いたりすると、鬼のような形相で「泣くな! うっとうしい」と怒鳴ったりする。 

 

 注:ネタバレですが→終盤にさしかかり、サンドラは、実は、ジェルミと夫グレッグの事実を知っていた――でも、知りながら否認していたらしい、ということがわかる。否認とは、深層心理ではわかっていながら、あまりに辛いので、なかったことにする、という、ずるい心理状態だ。自己欺瞞
 結局、行き着くところは母親なのかも知れないと思った。現実を直視する母親であれば、ジェルミを守れたはずであり、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。
 母親が子どもに与える影響は計り知れないほど大きい。
 ジェルミ自身、そんな母親の暗部を直視し、呪縛を乗り越えない限り、本当の再生はあり得ないのだが、そこが一番辛く、難しいところでもあるのだ。

 

 ところで、悪魔的人格のグレッグについては、あまり両親に愛されなかった生い立ちとか少し出てくるが、どうしてもそれだけでは説明がつかない。さすがの萩尾望都も、そこまでは突き詰められなかったのかも……。
 やはり、モラル・ハラスメント的加害者の本質的な理由というのは、第三者にとっては永遠の謎なのだろうか。

 

 あと、身も蓋もないけど……と思いつつ、実感したこと。
 ぼろぼろになったジェルミを救うため、イアンは彼と徹底的に向き合うのだが、そのための手段として、自分の大学進学を保留にしてロンドンにフラットを借りたり、予備校に通ったり、ジェルミにカウンセリングを受けさせたり、手始めにカルチャーセンターに通わせ美術をやらせたり、いろんなことをするのが興味深かった。
 で、こういうことができるのも、「お金があるから」なんだなあというのを実感したわけ。
 精神的に追い詰められた時、せめてものお金が「ある程度あれば」選択肢も広がるし、余裕もできる……と、自分の身に引き寄せつつ、かなり真剣に考えてしまった。
 実際、ジェルミは、イアンが助けに来るまではニューヨークに逃れ、男娼をし、薬漬けになっていたのだ。
 モラル・ハラスメント夫やDV夫から女たちがなかなか逃れられないのも、主婦がお金を持っていないから、選択肢がないゆえの結果とも言えるし……などと、ついあれこれと。
 
 ジェルミが心理学者のオーソン先生にこんなことを言われるシーンがあった。

 

「きみの持ち続けている その絶望にはいまだ名前がないのだ。
 誰も その名を知らないのだ。その絶望の名前を。
 きみは喪失し続ける。その喪失にも名前がないのだ」

 

「なぜ……ですか?」

 

「歴史は敗者の苦痛に名前を与えない。
 その絶望に近い名は……死だ」

 
 そして、オーソン先生は、
「どんなことがあっても 自らは死なないと約束してくれ」
 と言う。
 
 暴力――身体、精神への暴力すべて――は、人を破壊(死)へと追い込む。
 『残酷な神が支配する』は、そこを描き切った、類い稀なコミックである。

 

 この壮大なドラマをどんなふうに決着をつけるのだろうと読んでいくと――安易なハッピーエンドは用意されていなかった。
 でも、確かに暗い森を抜けて、ゆるやかな川の流れに身を任せるような、明るさを感じさせる結末になっていて、ほーっと安堵のため息。

 

 私が10代の頃、多大なる影響を受けた『ポーの一族』(萩尾望都)を読んだ時も、永遠の時を生きるバンパネラがこの世界のどこかに、実在するとしか思えなかったけれど、『残酷な神が支配する』も傷だらけのジェルミとその傷を受け止めるイアンがどこかに実在するような気がしてならない。
 30年近く経っても、萩尾望都の作品にこんなふうにまた打ちのめされるとは……驚嘆するばかりだ。

残酷な神が支配する②  に続きます。

     ↓kate-yuki.hatenablog.com

アカデミー受賞式をリアルタイムで

 昨日、休日出勤をしたので、今日は有休。
 アカデミー賞受賞式をリアルタイムで鑑賞という、今まで実現できなかった優雅な休日を思いがけず過ごせた。

 アカデミーのこともたっぷり書きたいのだが、ブログは時系列に沿って順番にと思うと、なかなか順番が来ないかも……ささっと書いてしまおうと思うのだけれど、やはりブログは時間がかかる!

 とりあえず、ポン・ジュノの「パラサイト」4部門受賞は素晴らしい。

 英語圏以外の作品も、作品自体に力があれば認められるという、先駆けになる作品では。韓国も格差社会で問題は多そうだけれど、今の日本ではなかなか出てこない、底力みたいなものを感じる。

 

 そして、主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスのスピーチでは、最後に兄リヴァー・フェニックスが17歳の時に書いた詩の一節が。

"Run to the rescue with love—and peace will follow."

 君もrescueされたらよかったのに、peaceが必要だったのは君だよね、リヴァーと……リヴァー・フェニックスのことを思い出すと、今でも泣きたくなる。

 

 というわけで(どういうわけなのかよくわからないが)、昨晩の満月の写真を。

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清澄白河おすすめのお店 レ・デリッツェ・デル・モンド /Le Delizie Del Mondo

 先月、ミナ ペルホネン展を観る前に、ランチに立ち寄った清澄白河のお店ーー事前の情報なし、勘だけで探したーーが大当たりだったので、ここでちょっと紹介します。

 レ・デリッツェ・デル・モンドというお店。

 美味しいお店って、店構えというか、入る前からオーラがあるような気がする。

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 このお店も外観が素敵で(食事が終わったあとに撮影したので、CLOSEDに)。

 でも、初めは店内の様子が全然わからず、不安だったのだけれど、えいやっと入ったら、ほぼ満席で(デーブル一席だけ空いていたのもグッドタイミング)、入った瞬間、ここは美味しいに違いない!と感じた。

 当日食べたもは、前菜は生ハムといろんな葉ものがミックスされたサダラと、メインはいろいろきのこのクリームパスタ。デザートはパンナコッタ。

 で、美味しいに違いないという予感がまさに的中。

 こういう時って、幸せです。

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 お料理は、フレンチと思いきや、パスタもあり、わりと多国籍な感じ。

 サラダはフレッシュで生ハムとのバランスがよく(撮影しなかったけど見た目も美しかった)、きのこのパスタは肉類が入ってないわりには食べ応えあり、満足感あり。

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 お店の内装もヨーロッパのアンティークなテイストで、この辺の感じもすごく好き!

 小ぶりの水差しをシルバー入れにするとか、真似したい。

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 イタリアの宗教画っぽい絵に、金の鳥が壁に。これもそのまんま真似したいほど。

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 で、お店の方も素敵で。
 あまりイケメン、イケメンと軽々しく言うのもなんですが、ひとりで厨房を取り仕切っているシェフがイケメンで。
 そしたら、ネットで検索した記事にも「イケメンシェフが腕をふるう」というタイトルになっていた(笑)。

 ホールの女性は、パートナーの方なのでしょうか。アンティーク風なリネンのエプロン姿がまた素敵で。素敵ばかり連発して、語彙力が乏しいですが……。

 レストランって、お店の佇まい、インテリア、そこにいるお店の人、すべてが醸し出す空気感みたいなものがとても大事だと思う。

 で、そういうものすべての調和がとれているお店は、絶対敵に料理も美味しい、と私は思っている。

 何もかもが、自分にぴったりくるレストランでした。

 現代美術館に行かれる方はぜひおすすめ!

 ここで食事したいがために、現代美術館で何かを観に行く、という行動パターンも今後、自分にはありえそうな感じです。

 

*壁に、絵本の絵のような、味わいのある絵が飾ってあり、ヨーロッパで探したのかなと思っていたら、下記のネット記事にシェフのお姉様の絵だと。今度行ったら、その絵について伺ってみたい。

 

*お店のHPはないようなので、リンクを貼っておきます。

retty.news

Le Delizie Del Mondo (レ・デリッツェ・デル・モンド) - 清澄白河/イタリアン [食べログ]

 

私のミナ ペルホネン 

 前回から「つづく」ということで、私のミナ ペルホネン。
 2012年に京都店で購入したワンピース。

 後ろにも同じように刺繍が施してある。

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 実は結婚の記念写真を撮る時のために購入したもの。
 そんなことでもないと、私にとってはなかなか購入には踏み切れないブランドではある。
 

 このワンピースを購入した時は、つれあいも一緒にお店に行き、これがいちばんしっくりくるのでは、という感じで選び、ほしいものがあったからというよりは、ミナで買い物してみたい!という気持ちだった。

 お店では、いざ試着してみると、それなりに年を重ねた自分には似合わないものも多く、意外と難しいなあと思ったことを覚えている。

 で、このワンピースもそれなりに気に入って購入したのだけれど、半袖でウール地というのが予想以上に着る時期を選ぶのだった。

 温暖化が進んでいるせいか、初秋でもウールだと暑い!(生地はそんなに厚くないのだが)

 やはり冬ものよね、と思うも、冬に着るにはこれ1枚だと寒い。

 なので、下に長袖のタートルを着ることになる。それでも腕だけすかすかするので、カーディガンも羽織る。すると、せっかくの背中側の刺繍は見えない。

 丈も膝下だが、わりとバサバサと長めのものが好きな私にとっては、やや短い。

 そこから覗く足が、私の足ではなく、棒のように細い足だと可愛いんだけど(イメージでは、「すいか」に出ていた頃の市川実日子ちゃんみたいな!)。

 

 そんなこんなで、中にタートルを着るとカジュアルになると思ったのかどうか、記憶は定かではないのだが、写真館での撮影はなぜか別の服になった(その時に選んだ服の話は、別の時に)。

 でも、結婚式を挙げない代わりに京都の今宮神社で結婚のご祈祷をしていただくことになったので、その際はこのワンピースを選んだ。

 11月の寒い日でグレイな薄曇りだったが、ご祈祷が始まってしばらくすると、さーっと、美しい陽射しが降り注いできたことが鮮明に記憶に残っている。

 そして、ご祈祷が終わり、神社を出てしばらくすると、突然の冷たい雨に見舞われたのだ。あれはちょっと不思議だった。

 というわけで、いわゆる「よそゆき」で、ふだんは着る機会、というか勇気があまりないのだが、着て行くと、人に必ずかけられる第一声が「わー、刺繍!」なのだ。

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 今回、撮影するために、あらためてまじまじと見ると、確かにこの刺繍はすごいなと思う。特に、現代美術館の展示を見た後では、どれほどの手間をかけられて作られているのか、よくわかったので。

 

 100%私のための服、というよりは、ちょっぴり距離感のある服ではあるが、ここに記したように、それなりにエピソードのある服になっていて、ミナの服はエピソードが自然に生まれる服なのだろう。

 そういう意味でも、ほかのブランドにはない存在感がある(それに反発したくなる人もいることはわかる。私も常々、お値段がね、と言ってしまうし)。

 

 きっと年を重ねても着続ける服になると思う。

  

 ミナはほかに、一昨年購入した柔らかいニットのワンピースの方が「私の服」という感じなのだが、それもまた別の機会に。

 

*おまけ:これはミナの洋服の余り布でつくられるパッチワークのバッグ。

 新宿伊勢丹のミナのフェアにて。服はいろいろ買えない代わりに、このバッグという感じでしょうか。

 いろんな生地があって、見ていると楽しく、元気になれるバッグ。

 

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ミナ ペルホネン展 記憶される服 

 先週金曜日、ミナ ペルホネン展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」を東京現代美術館で観て来ました。

www.mot-art-museum.jp

 今や多くの人が知っている「特別」なブランドで、ここでいうまでもないのだけれど……私は以前、NHKの番組「プロフェッショナル」で、ミナ ペルホネン(以下、ミナ)の丁寧な服づくりを知り、驚かされたことがある。

 とはいえ、ラブリーなイメージのミナが東京現代美術館、という意表をつく組み合わせで、果たしてどういうものか? ちょっと行ってみようかな、くらいの軽い気持ちで出かけた(先週あまりに気忙しく、むしょうに美しいものを見たくなった、というのもある!)。

 

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 やはり東京現代美術館という舞台装置もあるせいか、想像以上になかなか凄いもので圧倒された。ここまでの展示数というか、量があると、「服」を通り越して、「アート」になるという印象。

 それはもう、ラブリー、可愛い、を超えた「何か」。

 比較するのもなんだけれど、壁面一面に服が吊り下げられたその様と雰囲気は、ちょっとボルタンスキーを連想してしまった。 

 で、その「何か」とはなんだろう?と、これは展示を見終わってからの感想だったのだけれど、「記憶」かもしれないと思った。

 現代はファストファッションが多く行き渡り、消耗品と同じように着つぶして、記憶される間もなく捨てられていく。そんな服とは、対極にある記憶される服たち。

 また、鑑賞後に会場構成が新進気鋭の建築家・田根剛氏であることを知り、なるほど、そういう方の技も入っているのかと納得。

 田根剛氏は、エストニアの、旧ソ連の飛行場滑走路跡をそのまま活かした博物館館などを手がけた世界的な建築家。

 

考古学的な(Archaeological)リサーチと考察を積み重ねることで場所の記憶を掘り起こして未来をつくる建築を「Archaeology of the Future」と呼び、その実現を追求し続けている。 ウィキペディアWikipedia)/田根剛 より

 

 服を大事にする思いと同時に、「せめて100年つづけたい」という皆川明氏の思想(この際、ブランドイメージというより、思想や哲学と呼んでしまいたい)と、田根氏は共鳴するものがある。

 

 映像のコーナーもあり、ミナを身にまとう人たちの生活の短いシーンが映されているのだけれど、あまりに美しいので、モデルさんを使ったイメージ映像なのかと思ったら、実在の人と後で知り、これもびっくり。

 パリのカフェで、ぶどう畑で、そんな労働の場で惜しげもなくミナを着ている人の姿は美しかった。

 

 そのほか、皆川氏のイメージの源泉や創作の過程、特に複雑な織りや刺繍がつくられていく工場での工程は気が遠くなりそうなほど緻密で、まあ、あのお値段の理由もわかるというもの(生地の織りから、縫製まですべて日本で)。

 このブランドのことを人と話す時、決まり文句のように「可愛いけれど、お値段は可愛くないのよね」と言い合ってしまうのだけれど、その理由ですね。

 最後のコーナーは、ミナを愛用している一般の人たちの服と、その服にまつわるエピソードの展示。

 ここまで長く愛され、記憶に留まる服、というのは、やはり現代ではなかなかないのでは?と、このコーナーは特に印象深かった。

 コートを長く着ているうちに、袖口など表の生地が擦り切れて、その下の地の違う色が見えてくるのも味、というのがあって、わー、それは私もほしいなあと思ってしまった。

 このコーナーの最後、「昨年他界した妻のお気に入りの一着でした」というエピソードに胸をつかれる。7年前に京都店で購入したこと、仕事の合間をぬってお店を覗くことが日々の潤いだったこと、この服を着ていると生き生きと輝いて見えたこと(メモしたわけではないので、このとおりではなかったと思うが)。

 そして、「ありがとうございました」と結ばれていた。

 その今はなき妻の一着は、ミナのシンボルともいえるタンバリンの刺繍が入ったワンピースだった。

 着ていた持ち主がいなくなっても、こんなふうに思い出とともに残り続ける服……というものが、今どれだけあるだろうかと思うと感慨深い。

 

 ところで、ミナのおそろしいところは、所有できなかったものでさえ、記憶に残り続けてしまうところ。

 あれは確か、取材で京都に出かけた2012年の2月(上記の、今は亡き女性が購入した時と同じ頃だろうか)、ミナのお店が入っているビルがレトロで素敵なので、購入はできないけれど、せっかく京都まで来たからとお店を覗きに行った。

 そこで、木が並ぶ森のコートに一目惚れ(写真の真ん中)。

 私がほしかったのは、もっと深い緑の木のもの。もしこのコートを着たら、それはなんだかもう、森を身にまとっているようだ、と思ったのだ。

 その森のコートに再会できるとは!

 この柄の正式名は、metsä/メッツア=フィンランド語で森の意味。

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 お値段は確か、95,000円くらい。コート1着に10万は贅沢だなあ……とあきらめたのだがーー中に着る服との組み合わせがが難しいかも、それほど保温性はないかも、などあきらめる理由をいっぱい考えて。
 折にふれ、この森のコートを思い出しては、あの時、清水の舞台から飛び降りればよかったと忘れられないのだった。ああ、ほしかったなあ(と未練いっぱい)。
 

 また、様々な分野でもコラボしている皆川明氏、中村好文氏設計の小さな家まで展示されていた。このキッチン、このままうちにほしい。強烈にほしい(笑)。

 皆川さんも中村さんも、自ら料理をする方なので、「キッチン」のことがわかっているんだよねえ。シンプルで美しく、動線が考えられていて作業はしやすく、右下にはざるや盆を収納するスペースまであり(こういうの、置くところに結構困る)、素晴らしい。

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 「記憶される服」なんてもっともらしいことを書きつつ、結局最後は「ほしい」に集約されてしまうのも、おそろしい(褒めている)。

 もっとも、そうでないと、ブランドして存続していけないだろうし。

 芸術性だけでなく、ブランド発信力と商業的な成功、さらに日本の職人の方々とものづくりの現場へのリスペクト、そのすべてを兼ね備えた、やはり稀有なブランドなのだ。

 ということを再確認できた展覧会でした。

 

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上のスカートの裾の部分を拡大すると…こんな絵本のようなシーンが!


 展覧会は今月16日まで。ミナファンも、ファンでなくても一見の価値ありです。

 さて次回は、わずかに所有している「私のミナ ペルホネン」のことでも書いてみようかな。

 ということで「つづく」。 

 

*同じ現代美術館で開催されていたDUMB TYPE展も興味津々だったのだが、さすがに両方を鑑賞する体力、気力に自信がなく、見送った。
 

SNSと「死」の問題

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冬の早朝

 
 なんだか不穏なタイトルかもしれないが、思うところがあり、書いてみた。
 Twitterをとりとめなく見ていると、自分のまったく知らない方の訃報に接することがある。
 自分は知らなくても何らかの分野で著名だったり、人気だったりという方で(もちろん一般の方もいる)、亡くなられた後、遺族がそのことを報告しているという形だ。
 そういった訃報に接すると、どうしてもその方のアカウントを訪ね、しばらくTL(タイムライン)を読んでしまう。

 ブログなども書いている人が故人となると、それは更新されず、永遠にインターネットの海を漂っていくのだろうか。
 遺族が知っていれば、訃報を載せることができて、区切りがつくが、そのためには、生前きちんとコミュニケーションを取り、PCやブログサービスのパスワードも知らせておかないといけない(あるいは、エンディングノートに記載しておくとか)。
 でも、急死したりした場合は何も準備していないことの方が多いだろう。
 PCを見るのは家族でも憚られると、そのまま全データを消去して廃棄してしまうという話も聞く。そうなると、ある日、突然すべてが消滅する。
 逆に、ネットで契約していたものなど、もろもろ解約しないと、ずっと引き落としだけされたりとか、なんかもう、ほんとにいろいろ面倒だよなあと思う。

 そんなことを常日頃から、つらつらと考えている。
 というのも、以前仕事でエンディングノートの編集をしたことがあり、普通の人よりは「そういうこと」を考える機会が多かったせいかもしれないし、あるいは年齢的なことも大きいかも。
 とりたてて重い病気もなく(今のところは……小さい病気、不調はいっぱいある)、「死」を意識するにはまだ先だが、人生も折り返し切って、今まで生きてきた時間の倍はもう生きないと思うと、にわかに「そういうこと」が身近になる。
 そのわりには、エンディングノートを編集したくせに、自分で書いたりはまだしていない。
 で、そんなふうに考えるともなく考えていたなか、最近、すごく興味深い話を聞くことができた。

 作家・思想家の東浩紀氏の会社(取締役は別の方)ゲンロンというところで、ゲンロンカフェhttps://genron-cafe.jp/というイベントがある。様々な分野の専門家を招いてのトークをニコ生で放送している(有料)。
 
 つれあいが会員で情報を教えてくれるので、そのゲンロンカフェの昨年末の大晦日トークイベント「ニッポンの展望#7 2010年代終結の陣 宮台真司 × 西田亮介 × 東浩紀 」を聞いてみた(残念ながら、この回は放送終了)。
 2010年代の出来事を語っていくのだが、話は多岐にわたり、そのなかで会場にいた方の質問を受けて、「自分の経験は、自分の固有のもの」ということから、今のITの世界と個人との関わりについての話が、自分が「考えるともなく考えていた」ことをはっきりと照らしてくれるものだったのだ。

 端折っているし、言葉もそのとおりではないが、東浩紀氏の主張をメモしてみた。
 まずは、人間の文化というものについて。
「経験を受け渡され、自分の経験を受け渡していくことで文化が成立していく。人と一緒に生きるということは、何かを共有すること」
であるという。
 例えば、歌舞伎役者の襲名など、同じ名前が何人もいるということで、それが伝統」である。
 だから本来は、「二代目宮崎駿とかいるべきで。会社もそうだし(二代目東浩紀とか)」であるべきなのだが、ということから、こんな問題提起がされた。
 「民主主義とSNSの世界も問題。(略)
 SNS=人が死ぬと受け継がれない。アカウントは継承できない」
「今のITの世界は人が生まれて死ぬのを前提としたサービス。
(人は)本当は自分だけでは完結しない。
 誰かに受け渡すことによって継承されていく、
 それがまったくサポートされていない。
 社会に適応したサービスを作っていないという問題がある」

それは、「人間とは何なのか?」という問題にあたるわけで、「哲学的な問題と同じ」であると。

「自分の買った本は誰のものなのか? 自分のものではない気がする。
でも電子書籍のサービスでは周りの人間には分け与えることはできない」

 そもそも「そういう議論がない」ことが問題なのだと。

「20代後半くらいのベンチャービジネスやってるやつが、買うってこんな感じじゃね?と作ったものがデフォルトになっている……というのは大変間違っている」

 最後の「買うってこんな感じじゃね?」には思わず笑ってしまったが、案外、笑い事ではないかもしれない。
 「買うってこんな感じじゃね」と、amazonなども発展していったのだろうし、私も大変便利に利用させてもらっている。
 でも確かに、自分が死ぬことなど(当時は)想定しなかったであろう20代、30代だった若い人たちが設計した世界であることは事実。
 誰もが年を取り、今盛んに利用している世代も、自分を含めこれからどんどん亡くなっていく。
 そういうことは想定されていなかったという印象は拭えない。
 人類の歴史は何百万年、いや何千万年(?)も前からあるけれど、PCが一般の個人の生活に入り込んでやっと四半世紀くらいなのだから仕方ないのかもしれない。
 
 結論は全然、まったく出ないのだが、Webの世界やSNSと「死」の問題はもっと議論されるべきだと思うし、私自身もそれなりに考えてみたいテーマだ。
 そんなことを語るにしても、やはりTwitterの140字では足りない。だからブログ。
 というわけで、前回からの続きのような文章でした。
 
 

今さらブログ? 今だからこそブログ?

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2020年 元旦の夕陽のなかの富士山

 以前書いていたブログ、2016年で更新は止まっていた。

kate-o.cocolog-nifty.com 

 311の震災後、情報入手のためTwitterを始めて、その手軽さからそちらにどっぷり。 だから、ブログは2016年までといっても、2011年からその数年間は、1年に1回くらいの「年1」ブログに成り果てていた。

 
 やがてTwitterも、140字で書いていくことの限界を感じ始め……そもそも、何かまとまった考えをきちんと表明するツールではなく、その時々のつぶやきをタイムリーにあげていく場なので、限界も何もないのだろうが。
 世の中的にもいつの間にか、Twitterはかなりの勢いで広まり、ヘイト的な言葉が蔓延したり、炎上したり。
 
 一方、私のように、短い文で気の利いた面白いことをつぶやけないアカウントは、ツイートしてもただただタイムラインのなかを浮遊し、するすると流れ消えていくだけなので、虚しい気持ちになるのだった。
 で、何年もほぼ「年1」更新だったブログ、アクセス解析を見ると、人気のある過去の記事については、細々ながら数年経っても日々、誰かしら読みにきてくれるのだった。
 有料記事ではないから、お金になるわけでなし、何になるわけでもないのだが、泡のように消えていくTwitterの言葉と比べて、その違いは大きい。これってどういうことなのだろう?と思った。
 思えば、自分自身も何か調べたい時をはじめ、よいものを読んだり観たりして感動した時、その思いを共有したくて、ネットであれこれ検索しても、Twitter上では細切れの短い感想ばかりで、まとまった記事を読めず、やはりブログに辿り着くことが多かった。その都度、ああ、まだこうやって長い文章を綴っている人がいるんだなとしみじみする。
 私の「人気記事」(わずかな記事だが)もそうやって細々と読まれているのかもしれない。
 Web上の発信の場としては、TwitterFacebook、インスタグラムなどのSNSへと移行していく人が多いなか、不特定多数に開かれたブログの役割というのは何なのか考えるべきなのかもしれないが、私は再開してみたいと思うようになった。

 そんななか、こんなブログ記事を発見。
 もはやブログは、今やめったにかかってこない「固定電話」のようなものではないか、という。
 

fujipon.hatenablog.com

 以下、上記の記事より引用。

「ブログというものが消える、というよりは、Twitterやインスタグラムが、ブログの要素を取り入れていって、「短いブログ(写真付き)」として利用され、長文を書きたい人、読みたい人だけが既存のブログに残る、ということになっていくのではないかと思います。
僕もこれまで「互助会」をさんざん槍玉にあげてきましたが、これからどんどん限界集落化していく長文ブログの世界では、「長文ブログ全体が互助会化していく」のかもしれません。互助会でもないと、そんな長文誰も読まないよ、みたいな感じ。
(略)
ただ、みんなが「短文でわかりやすい主張」をSNSで繰り広げていけばいくほど、「ニュアンスやグレーゾーンを掬い取れる既存の長文ブログ」が、一定の役割を果たし、好事家からは地道に支持されるという可能性もありそうです。あくまでも「地道に」ですが。」

 ブログの「限界集落化」という表現が的確すぎて笑ってしまったけれど、それはそれでよいのでは……という気持ちも。
 
 以前、NHKの番組で、京都の山奥で(ネットで調べたら京都・綾部の古屋地区という所だった)、トチの実でクッキーを作っている、平均年齢ほぼ90歳(!)の女性たちが紹介されていたのを思い出した。
 
 山奥で、本来は食べにくい固い木の実をこつこつと収穫して、お菓子を焼く。
 そんなイメージのブログがあっててもいいんじゃないかなあと。
 限界集落は何かと問題視されて、実際、問題山積みなのだが、便利な都会に移動せず、自立の道を探ってこつこつ働いている人たちを否定はできないと思う(合理化だけがすべてではないというか)。

 ブログを始めるにあたっての長い前置きのような文章でした。
 2020年もすでに2月に突入していますが、今度こそ「年1」にならないよう、せめて「月1」ブログくらいにはなることを目指します!
(と、ここまで書いて、やっぱり私は長い文章が書きたかったのかなと思いつつ……)